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オリンピアンが語る スポーツの過去・現在・未来

2019年12月5日(木)に、本学卒業生であり、現在は、日本女子サッカーチームの日テレ・ベレーザに所属する岩清水 梓氏を講師として招き、「オリンピアンが語るスポーツの過去・現在・未来」と題した講演会を開催いたしました。

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――本日、この講演会を迎えるにあたり、岩清水選手が所属するベレーザのHPやご自身がされているブログ等の様々なメディアを拝見しました。その上で、進めていきたいと思います。岩清水差選手のご出身は岩手県、生まれは1986年。年齢は...、皆さんに言っても大丈夫でしょうか?

はい。33歳です。


――やはり現役を続けていらっしゃるので、若々しさに溢れていますね。この33歳という年齢は、今現役を続けている選手の中で言うとベテランにあたると思うのですが、他に30代以降も競技を続けている選手はいらっしゃいますか?

私が現在所属しているチームでは、私が最年長になります。他のチームには37歳という方もいますが、まあ少ない方ですね。基本的に、サッカーという種目での現役選手の年代層は20代が一番多いです。


――このように、30代まで現役選手を続けているということを想像していましたか?

していなかったですね。


――フィジカルの面からみると、選手としてのコンディションはどのように感じていますか?

そうですね。長くやってきて思うのですが、やはり自身の体のことを考えると20代後半の方が動きやすいというのもありました。30代を過ぎてくるとフィジカルの面で衰えを感じる時もありますが、練習で後輩たちと接する際に「若手に負けないぞ」という気持ちで練習に取り組んでいると、また違う景色は見えてきています。


――日テレベレーザのHPを拝見しました。「人よりがんばる」ということを1つモットーとされていますが、毎年毎年"何を頑張るか"ということは変化していくと思いますが、どのような変化がありましたか?

そうですね。その時々の目標の持ち方によると思います。私のモットーでもありますが、人より頑張るということで、人との違いをどこで出していくのかということを考えながらやらないと、その差はつくれないと思います。なので、例えば、皆が嫌いな練習をやったり、むしろそれを得意にしてみたりしようということは、考えながらやっていました。


――サッカーを始めるきっかけについてなのですが、お父様がサッカーをされていたのですか?

いいえ。父はやっていませんでした。


――では、岩清水選手自身の意思でサッカーを始めたということだったのですね。

そうです。私が小学校1年生になった年が、Jリーグが開幕した年でした。そういった巡り合わせもありましたし、なにより当時友達だった男の子がサッカーをやっていたから始めたのです。もしも仮に、その子がバスケッとボールやバレーボールなど違う競技をやっていたら一緒に同じ競技をやっていたような気がします。


――そして中学校1年生の時に、お父様が日テレ・ベレーザの育成組織である日テレ・メニーナに応募をしたと。それは、お父様が岩清水選手のサッカーへの思いを知ってということだったのでしょうか?

今でこそ「なでしこジャパン」という名前は皆さん知ってくださっていると思うのですが、当時のサッカー日本女子代表は世間的にも知名度が低いものでした。それに加えて、私が小学生の時は少年団に入り、男の子と一緒にサッカーしていたので、その先の夢というのは、リアルに描いていなかったです。当時はただ男の子と遊びたかっただけで、また、その男の子たちに負けたくなくないという思いでサッカーをしていました。
なので、中学校に入学したらその学校に女子サッカー部もなかったので、ソフトボール部に入る予定でした。しかし、小学6年生の時に父が勝手に日テレ・メニーナのセレクションに応募していて(笑)。父に「お前、明日試験だからな」と突然言われ、会場に連れていかれました。その時初めて同じ学年のサッカーを夢みて頑張っている子、上手い子たちに沢山出会いました。人数は、100人は越えていたでしょうか? そこで大きな衝撃を受けました。
私は父が勝手にセレクションに応募してくれていなかったらサッカーを続けていなかっただろうと思いますし、その時の試験に運というのもあると思うのですが合格できたことによって、今もこうしてサッカーをやっていると思います。もしも仮に、当時の試験に合格していなかったら、たぶん違う道を選んでいたと思うので。何かを始めるきっかけというのは、どこにでも転がっているなと思います。

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――お話の中にあった少年団でプレーしていた頃について。当時は、男の子と一緒にサッカーをやらざるを得ない環境にあったと思うのですが、その時の気持ちはいかがでしたか?

私は小学校の頃、少年団という男の子しかいない環境でサッカーに取り組んでいました。その中で、試合の時は「うわ。女いるよ。」と言われることもありました。でも、そういう事を言う子の顔を覚えておいて、後でやり返すということはやっていたので(笑)。たぶんその頃からなのですが、良い意味で"負けず嫌い"でした。そんな私の負けず嫌いな性格は、少年団の頃に培われたと思います。スポーツを頑張る人には、まず負けず嫌いであってほしいなというように思います。


――相手に"負けたくない"という思いが一つのモチベーションになりますね。

そうですね。先ほどの話に加えるとすれば、個人・集団競技に関わらずチームにはライバルがいます。私の場合は、中学でメニーナに入団した時に同じ学年で同じポジションのライバルがいたので、そこに勝ちたいという小さな目標を持っていました。オリンピック出場や日本代表といった大きい夢を持つことももちろん必要ですが、自分の周りにいる「この選手に勝ちたい」とか、「今日この人に負けたくない」などの身近にある目標を立てて努力を重ねていくと良いと思います。その過程では達成感も得られますし、その積み重ねが最終的にはオリンピック出場や代表に繋がっていたという経験をしています。ですから、小さな目標を立てながら、一つ一つ達成していくと夢への階段を少しずつ上がれると思います。


――少々踏み込んだことをお聞きしますが、チームのメンバー選考において同じポジションで一枠を争う際、その時の心境というのはどのようなものでしょうか?

そうですね。私はその状況下で行けなかった(ポジション争いに負けた)人間なのです。メニーナに入団した当初は、下手くそだったし、試合の経験もないので、遠征メンバー選考の際、いつも登録人数から惜しくも外れてしまう選手でした。しかし、そこで悔しい思いをするということは、とても大事だと思います。勿論、その出来事をすぐにプラスに捉えるのは難しいと思いますが、そのような挫折や悔しい思いを、忘れなければ忘れないほど、その先の自分の競技人生の階段を登っていく際のパワーになると思います。


――そのセレクションの時のことは覚えていらっしゃいますか?

はい。そこでは上手な選手たちが沢山いたのですが、そのような中でも、先ほども申し上げた"負けず嫌いな性格"を発揮していたことを覚えています。セレクションでは、おそらくその姿勢を評価してもらったことで受かったと考えています。


――その時一緒に受験していた100人を越える選手たちの中で、合格者はどのくらいだったのでしょうか?

5人ですね。ただ、私は純粋に同い年の子に負けたくないという気持ちで集中してやっただけなので、緊張や邪念はありませんでした。


――小学校6年生にして、それができるというところが素晴らしいですね。

いや、実はそのように思い立ったのも、そのセレクションの時に父に怒られたことがきっかけとしてあります。当時の私はテストという真剣な場面で、あまりやる気がなかったというか...目の前テストに集中して挑んでいませんでした。そんな中、休憩で水を飲みに行った時に、父にめちゃくちゃに怒られて(笑)。「お前、何しに来たの?」と、もの凄く怒られました。そこで初めて、火が付いたというのもあったので...父には感謝しています。なので、皆さんには先に言っておきます。本当にもったいない時間は過ごさないようにしてください。
私が、これまで述べてきた相手に負けたくないという思いは、最終的なところなのです。それまでは、負け続けていたのです。
よくセレクションなどで、「緊張して自分のプレーができませんでした」や「緊張して自分の力が出せませんでした」と言う人に過去に何人か会ったことがあるのですが、それは本当に正直もったいないことだなと思います。
自分がもっている力を大事な場面で出す際に、"緊張"というものはいりません。その時にすべきことは、自分の持っている力を限られた時間の中で100%出すことに集中するということです。そのようにすると自然と緊張や邪念も消えていきます。もし、皆さんもそのような場面に出会うことがあれば、自分の力を100%出すことのみに集中してほしいと思います。


――岩清水選手の驚異の"集中力"というものを感じますね。

そうですね。集中力かもしれないですね。


――集中力は訓練すれば高まるものでしょうか?

よく指導者から「集中しろ」と言われると思うのですが、それは練習のうちからやっておかないと絶対できないことだと思います。「練習のための練習でなく、試合のための練習をする」という言葉もあるように、日々の練習でいかに本番を想定してできるかということが重要です。私はいつも「本当に緊張したときに、このプレーできるかな?」や「このプレーをしたら絶対失点する」などを考えながら日頃の練習を積み重ねています。もちろん、そのような中で失敗もありますが、またその失敗を次へ活かせるように新たな想定をしていました。日々の練習は反復です。しかし、そのような中でも常に試合を想定することは大切であり、それに比例するようにして集中力も高まります。


――セレクションに合格し、メニーナに入団後はいかがでしたか?

当時の私は入団してみたものの、技術もあまりなく、チームの中で一番下手くそでした。なので、冒頭にも言いましたが、皆が嫌いな練習を頑張ろうと思ってやっていました。サッカーはボールを蹴っている時間が一番楽しいのですが、練習ではボールを蹴るだけでなく、走るだけの辛い練習もあります。しかし私は、あまり上手くなかったので、逆に走っている方が楽しかったというか...。そこで、他の選手たちとの差を埋めるなら「まずここだ」と思い、皆が嫌う練習に積極的に取り組んでいました。


――その"走る"ということに関して、私は岩清水選手をテレビで拝見することが多いのですが、運動量が落ちないという印象があります。

サッカーという競技は、試合中ずーっと走っているという印象を持たれますが、実はそうでもないのです。相手のプレーを先読みして休む、ということもしています。サッカーはダッシュ・休む・急停止などの動きを複合的に行うものなので、体力の使い方が重要です。そこで何も考えずに無駄に走ってしまうと、最終的にスタミナ切れになってしまう可能性があります。試合中、ズーッと走っているようですが、頭の方を使っていますね。


――ご自身が、力を発揮すべき場面で力が出せたのを実感できた年齢などはありますか?

自分の思うプレーが試合で出せるようになってきたのは、高校生になったくらいですかね。中学3年間、メニーナという厳しい環境下でやってきた経験があってだと思います。


――なるほど。そのようにして試合で力を発揮し、最初に日本代表になったのは...?

私が初めて日本代表に選ばれたのは、高校生の時のU18日本女子代表でした。しかし、その前にU16で代表に選ばれるチャンスもあったのですが、それには外されてしまいました。同い年の子がU16に選ばれ、日本を背負って世界と戦っている...そんな姿をみて悔しい思いをしました。そしてやっとU18で代表に入ることができ、ようやくスタートに立ったのだなという思いと、周りに遅れをとった分ここから頑張ろうという思いに溢れていました。
この時に初めて、世界との"差"というものを感じました。今までは国内選手としか試合をしてこなかったのですが、世界と戦うと、今まで自信をもってきたプレーをぶち抜かれ、想定以上のすごい技術を持った選手を沢山目の当たりにして、「うわ、やられた」という負け方をしたこともありました。しかし、そのような経験によって自分に足りないことに多く気づかされ、頑張ろうというパワーが生まれました。世界と戦えたことで得たものは多く、それが自分を大きく成長させてくれました。


――ちなみに当時のライバル国などはいましたか?

U20ワールドカップでは、世界の舞台で戦う前にアジア予選で何度も負けた経験をしました。同じアジア圏内には中国や韓国、北朝鮮という国がありましたが、やはり足の速さは、日本よりも他国の方が速かったです。そういった点で、アジアの中を勝ち抜けなかったのは正直悔しかったです。


――アジアで勝てなかった時期があったというのは、知りませんでした。そのような経験を経て、忘れもしないワールドカップを迎えることになるのですね。

はい。私はそのようなU16、U18、U20時代を経て、なでしこジャパンに選出されました。初めて出場したワールドカップ(以下:W杯)は2007年、中国開催でした。しかし、当時の日本は世界との差をありありと見せつけられ、ドイツに5失点、アメリカに4失点などし、結果は予選リーグ敗退に終わってしまいました。そして、リベンジに燃える次の北京オリンピックでも、W杯で悔しい思いを経験したメンバーが代表としてそのまま残り、試合を迎えることとなりました。
まず、パーソナルなことで言えば、私自身が初めてオリンピック代表に選ばれたということだったので、両親が北京まで試合を観に来てくれました。一戦目で国歌を歌う前にスタンドに両親を見つけてしまった時には、感極まって少し泣きそうになりました。そのように、両親に自分がオリンピックに出ている姿を見てもらえたのは、よかったなと思います。
この試合結果ですが、私たちは4位でした。過去のW杯で予選リーグ敗退していた背景を考えると「大躍進だね」と言われるのも分かるのですが、この4位という順位は、全日程戦える唯一の4か国ではあるけれども、その4か国の中で唯一メダルを持って帰れなかった国になるのです。最後の日程まで戦い抜いたということや、これまでの女子日本の最高成績を収めたということへの誇りや嬉しさはあったのですが、そこでメダルを取れなかったという点に、本当に悔しい思いを経験しました。なので、この時に初めて今度こそ"世界の舞台でメダルを取る"というリアルな目標がチームにできました。
そして、少しずつ日本の女子サッカー界も変わり始めたのです。具体的には、何人かが海外移籍をし、それを協会もバックアップする制度ができました。海外で色々な刺激を受けた選手たちが国内の代表練習に戻ってきた際には、非常に良い相乗効果で、毎回の練習で世界を想定しながら取り組める環境になっていたと思います。なので、試合の時にはびっくりしないようになっていました。

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――なるほど。そのような世界を経験したメンバーの刺激とともに、チーム全体のバランスが少しずつ良くなったという感じでしょうか?

そうですね。本当にチームとしてのバランスが良かったというふうに思います。
そして、その後の2011年にW杯を迎えることとなりますが、この2011年には何が起こったか、皆さん覚えているでしょうか?そうです、東日本大震災がありました。もしもこの中で辛い思いをしていた方がいらっしゃったら申し訳ないのですが、私自身も東北出身で、とても身近な出来事でした。震災は本当に甚大な被害をもたらし、この時ばかりはサッカーをやっていていいのかと非常に迷いました。当時東北にもチームがあったのですが、解散を余儀なくされ、関東・関西に選手を割り振るということもしました。私たちもナイター設備も使うことができなかったので、職場の方に協力を得て勤務時間を変更していただき、朝に練習するなど環境の変化がありました。6月にW杯があるというのは決まっていましたが、それまでに準備ができるのか、またリーグを再開できるのだろうか、そしてサッカーをやっていていいのかなどと様々な思いを巡らせていましたが、ありがたいことに、周りの方々の協力によって早く復活することができました。
そしてなんとかW杯を迎えることができたのですが、その途中、日本サッカー協会職員から今回の震災に対し他国のサッカー協会から支援やサポートを受けていたことを教えてもらいました。たしか宿舎に向かうバスの中だったと思うのですが、その時に初めてその事実を知りました。そこで、その感謝の思いを世界の皆さんに伝えようということで、毎試合終了後に、このような「サポートありがとう」というフラッグを掲げて会場を一周しました。"日本は元気です。ありがとうございました"という意味を込めて世界に発信しました。


――震災当時はその惨状を目の当たりにした時に、スポーツで元気を届けられるのかと迷うアスリートがたくさんいらっしゃったと思います。それでも、「自分たちにできることは何か」ということをスポーツ界全体が考えた年だったように思います。

本当にスポーツって何ができるかなということを考えていました。当時の大会期間中の合言葉が"日本に元気を届けよう"だったのですが、皆その言葉を常々口に出していました。なので、この大会はいつもよりも思いの強い大会であったことは間違いないです。
そしてこの後、優勝することができました。本当にこの優勝は、歴代の先輩たちがいてのことでもありますし、チームの仲間あってのものだと思っています。


――本大会まで一回も勝ったことのないチームであっても、勝てるチャンスがゼロということはないですよね?

そうですね。私が行っているサッカーという競技で言うならば、ゼロではないと思っています。その辺、他の種目についても私も勉強したいところですが...。例えば、陸上競技はそれぞれ持ち記録があると思うのですが、そのような経験を私はしたことがないのでよく分からないところがあります。一方で、サッカーに限らずチームスポーツのような場合、一回も勝ったことが無い相手と戦って、勝つことができる戦術のようなものは、あると思いますし、そういったところに奥深さがあるなと思います。


――今現在はチームのリーダーとして後輩を引っ張り、指導をしていらっしゃいますが、将来的には指導者としての道はお考えでしょうか?

一応引退後のことも考えて、指導者ライセンスを取りに行ったりはしました。そこでは自らの競技をこれまでとは違った視点から捉えることができ、競技に対する新たな発見も得られたので、自分にプラスになる場でした。しかし、今すぐ指導者にはなりたいと思っていないので、いずれそういったことに興味があったらやりたいです。今はピッチに戻れるように頑張りたいなと思っています。


――そうですね。ピッチに戻る際にはお子さんを抱えて...というインタビューも拝見しました。ちなみに、ママさんプレーヤーは他にいらっしゃいましたか?

過去にはいたのですが、今現在はやっている人はいません。ですので、私はそこにチャレンジをしたいという気持ちがあります。
あの、少し話が戻ってしまうのですが...。


――はい。大丈夫です。

(スライド写真)皆さんは、こういった優勝の瞬間を報道等の写真で見て、優勝したんだということを知ることになると思います。しかし当時、私たちはこの写真の中の当事者なので、このような姿になっていることも、また優勝したのだという実感も全くありませんでした。
ですが帰国後、空港降り立った時に沢山のファンの方や報道が待っていてくれた光景を目にして初めて優勝した実感を得ることができました。

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――W杯に行く時は...?

行く時は、この時のようにカメラマンはいなかったですね。見送りをしてくれるファンの方も、知っている人たちしか居ませんでしたので(笑)。しかし、この結果をメディアで多く取り上げてもらえたことで「なでしこジャパン」という名前を皆さんに覚えていただきましたし、これを機にサッカーを始めたという小さい子どもたちも多くなりました。また、その子どもたにとってサッカー選手という夢が描きやすくなったと思うので、その点は良かったなと思っています。現に、今一緒にやっている若手の子たちは、私たちのこの世界での優勝の瞬間を見ていることもあり、世界で戦うことが当たり前になっているようです。私たちの世代は実践を通して世界を体感していましたが、今のアンダー世代の子たちは、世界と戦い、そこで勝つという意識が普通になってきています。その様な時代の流れを考えると、歴史が繋がって来ていると感じています。


――なるほど。そして今日は、岩清水選手に2つのメダルを持参していただいたと伺がっておりますが...。

まず、こちらが2011年W杯のメダルです。実は、W杯はトロフィーがメインなので、メダルはおまけ感があります(笑)。
次は、2012年ロンドンオリンピックです。オリンピックでは、銀メダルを取りました。日本女子サッカーにおいては初めてのメダルになります。...ちょっと、メダルの大きさの差がね(笑)。 メダルは登録メンバーの18人に渡されるので、18個しかありません。ですので、監督やスタッフはもらえなかったと思います。


――世界の頂点を争った2つの試合のメダルですからね。本物は素晴しいです。岩清水選手、もし差支えなければこのまま質疑応答の方に移らせていただいてもよろしいでしょうか?

大丈夫です。

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 質疑応答


――Q.ニチジョタイで学んだことの中で、今役立っていることは何ですか?

そうですね。サッカーに置き換えるとムズカシイですが、大学生活の中で仲良くなった友人は一生モノです。卒業してから10年以上経っていますが、今でも年に1回旅行に行ったり、友人の結婚・出産されてからお子さんに会いに行ったりもしています。
もしかしたら、現在の学生生活の中でにつまらなさを感じる瞬間もあるかもれませんが、今のこの時間は本当に大切です。そこで経験したことは、その後の社会に出た際にも生きていくと思いますし、そこで出会う友達も大切にしていってほしいなと思います。


――Q.お話の中で、北京オリンピックで4位を経験し、そこで初めてリアルな目標ができたとありました。当時、目標を設定する上で一番大切にしていたことは何ですか?

まずは日頃のトレーニングの部分を見直しました。今までは、日本代表として試合に出るためにはどうすれば良いのかということに焦点を当て目標を設定し、本番の試合を想定して日々の練習に取り組んでいました。しかし、今度はそれらを世界基準で考え出すようになりました。想定するどのプレーも世界に勝てるのだろうかということを考える、そのような意識の変化はありました。


――Q.これまでW杯・オリンピック等の数々の試合を経験された中で、最も印象に残っていることは何ですか?

やはり2011年W杯の優勝は、自分のサッカー人生においては忘れられない試合となっています。


――Q.チームスポーツの中で重要視すべきことは何か教えてください。

目標設定を明確にすることだと思います。私たちのチームは日本で一番になることが当然とされているチームであり、代表に選ばれる選手もいるので、ある意味目標設定が明らかにしやすいというか、必然的に定まっていく環境ではありました。ですが、もしかしたら皆さんのチームでは、すごく高みを目指している選手もいれば、これぐらいのことをやりたいなどと目標に大きな差がある環境に置かれているかもしれません。競技力の差もあるので、全員の目標を統一するというのは難しいことかもしれません。しかし、できればその設定を、まずはチームの全員で一緒にできればチームスポーツはうまく行くのかなと思います。その都度の試合ごとでも良いので、チームの皆が叶えやすいような目標を全員で設定し、大会へ向けて一つになってほしいなと思います。


――Q.競技に取り組む上で体重などのフィジカル面は重要になってくると思うのですが、食生活で気をつけていることは何かありますか?

あまり考えていませんでしたね(笑)。もちろん基本的な事ですが、カップラーメンやお菓子などを食べ過ぎないということは心掛けていました。あとは、絶対3食は食べるようにしていました。それは小学校の頃から変わりません。だからこそ、ケガをしない体づくりができていたのかなと思います。
ですが、そのような食事や体重のことを考えすぎるのは良くないので、気をつけてくださいね。


――Q.普段、日本代表メンバーの方々はバラバラに活動されていると思うのですが、召集された時にはどのようにして連携をとっているのですか?

私たちのチームの時は、毎日紅白戦をしていました。そして、その時の様子をビデオ撮影し皆でミーティングをしていました。やはり代表選手が集合するということは、その選手が所属するチームの戦い方も集まってしまうので、ミーティングでビデオ撮影をチェックしながら、試合場面ごとの戦術の打ち合わせをしています。そのような話し合いは大変ですが、ミーティングをすることで考えが一つになりチームの良い連携に繋がっていると思います。


――Q.これまで、"大失敗"の経験はありますか?

"大失敗"はないかな...(笑)。でも例えば、"今日の試合全くパスが通せない"、"プレーが上手くいかない"という状況に陥ったら、パスの役割は他の人にお願いして、自分は他のやれることに集中しようというやり方に変えています。その日の修正すべき点ではあると思いますが、それに固執していると、他のチームメイトに迷惑をかけている可能性があります。そのような、ミスに対する考え方の転換が大事かなと思います。


――Q.練習や試合前にモチベーションを上げるために何かやっていることはありますか?

私の場合は、練習でいつもやっていることしか本番ではできないと考えて試合に臨んでいます。試合で持っている力を、100%出せるように集中しています。そこに集中力を注げると、余計な緊張は取れてくると思います。


――ありがとうございました。もっとお話を伺いたいところですが、お時間がきてしまいました。本日は、貴重なお話をありがとうございました。

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