資格・就職

HOME > 資格・就職 > OG図鑑

教員系
中学校・体育教師

M.M.(2004年度・スポーツ科学専攻卒)

公立中学校教員


夢がかなったら、前は崖だった。

体育の先生になってバレーボール部を持ち生徒を大会に連れていくことが、彼女の夢でした。その夢を実現させましたが、そのあとに待っていたのは決して平坦な道ではありませんでした。
<2009.02収録>

今の仕事について簡単に教えてください。

公立中学校で体育教師をやっています。教員になってから今年で4年目です。今は陸上部の顧問をやっています。

なぜ教員になろうと思ったのですか?

私の夢は、体育の先生になってバレーボール部を持ち、生徒を大会に連れていくことでした。私自身も中学から大学までバレーボールをやっていたのですが、その中で私がどうしても果たせなかったことを、今度は指導者の立場で実現していきたいと思いました。

ニチジョ4年生の時、教員採用試験を受けました。関西から東北まで、スケジュールが許す限り何カ所でも受けて、どこで受かっても行くつもりでした。最初に関西地方で試験を受けました。関西出身ではないので、面接で関西弁を喋れず「なぜわざわざ関西地方で試験を受けるのですか?」って聞かれ、「ハイッ。自分を変えたいためです!」って言いました。

関西地方の試験は残念ながら2次で落ちてしまいました。教員採用試験を受けながら、シュウカツもやっていました。名古屋の学習塾から内定をいただき、内定式にも出席してきて、ほとんどもうそこで働く気になっていました。

でもその1週間後に、最後に受けた教員採用試験の発表があり、合格していました。やはり教員がやりたかったので、進学塾の会社には事情をお話ししてあやまり、内定を辞退しました。

赴任した学校は?

赴任先は、地元からそんなに遠くない中学校でした。体育教育に力を入れている学校で、部活動でも色々表彰されたりしていました。校長先生も、体育に熱心な方でした。

初めて学校に行った日、職員室で色んな席をまわって、「初めまして。4月からお世話になる...です。」ってペコペコ挨拶していると、向こうから真っ黒に日焼けした先生がズンズンズンってすごい勢いでやって来て、私が「初めま...」って言い終わらないうちに先生は「よろしく!じゃっ!」って言って行ってしまいました。私は「ウワッ、この先生何かスゴイ!!」って思いました。

体育の授業は、ティームティーチングと言って2人の教師が、男女の生徒を一緒に教えていました。私と同じ学年で教えることになったのは、ズンズンズンってやってきたあの先生でした。ズンズン先生は、不良も優等生も区別なく生徒に接していて、生徒からも好かれていました。他の先生がたからは色々言われたりしているようでしたが、保護者は先生のことを応援する人も多かったようです。

先生は私に、「とりあえずこの1年は、見ていればいいから。」って言われ、一緒に体育の授業をしながら、先生のやり方を見て自分も子供のように覚えていきました。テストの時も「問題作ったからこれ見て。どう?OK?じゃいいか!」みたいな感じで、全部その先生がやってくださいました。私も少しでも役に立ちたいと思って、「先生、何かすることないですか?」って言っていました。

私は男子バスケットボール部の顧問になりました。学校は、川沿いに大きなグラウンドがあって、土手の上に立つとグラウンドが見渡せます。ある日、私が土手の上に仁王立ちになって、グラウンドを走っている部員に向かって怒鳴り声をあげていたら、散歩中のおじいさんが生徒に「あの人は男なのか、女なのか?」と聞いていました。生徒の保護者にも、よく男子生徒と間違えられて困りました(笑)。

シンマイの私に取って、ここは最高の環境だと思いました。でも1年後に、私を指導してくれていた先生が移動になってしまいました。ずっと体育の授業を一緒にやってきたので、まるで自分の心臓や脳味噌が持っていかれてしまうような気持ちでした。体育に熱心だった校長先生も、その年いっぱいで定年退職となりました。

先生になって2年目はどうでした?

生徒に睨みを利かせていた存在でもあったその先生がいなくなると、雰囲気がガラッと変わり学校が荒れていきました。私はと言えば、親に捨てられた子どものようでした。

ティームティーチングで、新しく私と組むことになった先生とはそりが合わなくて、私が1年目にやっていたような指導をしようとすると、否定されてしまいました。指導方針をめぐって言い争いになり、私は納得がいかなくてブチ切れ、最後には出ていってしまうこともありました。

何がいいのか私にはわからなくなりました。自分がなくなってしまったような気がして、学校の非常階段に座って考え込んだりしていました。去年は自分がいかに守られていたかを痛感し、「これからは、1人でやっていかなきゃいけないんだ。」って思い、でも「1人で何ができる?」って思い、自分には何もないっていうことを思い知らされました。

当時は、学校のすぐ近くに部屋を借りていました。だから仕事とプライベートの切り替えがうまくいかず、常に何かを引きずっていました。その時初めて、学校に行きたくないとか、やめたいとか思うようになりました。

どうやって切り抜けたのですか?

生徒に救われました。色んな生徒がいて、それぞれの子どもから学ぶことはすごく多くかった。「ああ、こういう風に考えるんだ。こんなことを考えるのか。」って発見の連続でした。こちらが本気で話したいとか関わりたいとか思っていれば、生徒は答えてくれるし、私が苦しい時は逆に励まされました。生徒は私にとっての太陽みたいな存在でした。感謝しています。

その頃から、本を読み始めました。教育関係の本じゃなく、仕事術や自己啓発について書かれた本を、手当たりしだい読みまくりました。自分の気持ちを、グワーッといっぱい紙に書き出してみたりもしました。そうすると、心の中から色々なものが出てきて、何かが見えてくるような気がしました。

ある時、「掃除で人間は変わる!」っていう本を読みました。最初は「それで何が変わるのよ?」って半信半疑でしたが、とりあえず掃除はいいことだと思って、身のまわりの掃除を始めてみました。それから、朝早く(5時くらい)に学校に行って、職員室の窓を全部開け放ち、机の整理や掃除をしてから、1日のスケジュール立てたりしました。

それまでは、ロッカーや、引き出しの中、机の上やまわりにも、色んな物が目一杯置いてありました。そうすることで安心感があったので...。でも掃除を始めてからは、机の上にはメモ帳とペン以外、物を置かなくなりました。

掃除っていうのは、けっこう頭のトレーニングになるんです。パッと見て、「あ、これ必要だな。」と思ったら残しておく、そうでなければ捨てる、そういうことをやっていると、たとえばお金の使い方や仕事の仕方でも、必要なもの、そうじゃないものっていうのがわかって来たような気がしました。

3年目はどうでした?

初めて担任を持ちました。2年生のクラスで、その学年はめちゃくちゃ荒れていて、「金八先生」も「ごくせん」も、あんなのかわいいよっていう感じでした。授業中にお菓子食べたり、タ○コ吸ったり、暴○事件とか、万○きとか(あんまり言えないけど)、もういっぱいありました...。3階にある教室のベランダからは、よく物が落ちてきました。突然、廊下で名前を呼ばれて振り向いたら、携帯でカチャって写真撮られて、それが裏サイトに載っていたり。しかも顔を編集されて、なんでそこだけモザイクなのって(笑)。

トイレが爆発したのは、去年の今ぐらい、結構寒い時期でした。その日は、休み時間ごとに男子トイレの個室が壊れていきました。1時間目にはドアが外されていて、2時間目には囲いの壁がなくなっていて、3時間目には便座のフタがない。昼休みに給食のあとかたづけをしていたら、「先生!男子トイレやばい!」って言いながら生徒が飛び込んできました。

行ってみたら、水洗の管がはずされていて、水が便器から天井まで吹き上げていました。ブォーってものすごい音で、私はとにかく止めなきゃと思い、「誰か、バケツ持って来い!」って怒鳴りました。バケツで、ビショ濡れになりながらも、私はなんとか水が吹き上げているところにバンってかぶせました。そうしたらすごい水圧を受けて、バケツがはじけ飛び、水が顔に直撃してきました。

息ができずにわめいていたら、「先生、ドアだ!」って生徒が言って、外されていたドアをみんなで持って管の上にかぶせました。やっと水が下に流れ始めたので、「ああ、どうにかやったね。」ってみんなで一息ついていたら、用務員さんがやって来て「先生、ここを閉めればいいんですよ。」って、流しの下の元栓をキュってやりました。そしたら水がシャアって止まって...。

トイレ爆発事件の後、保護者に来ていただいて話し合いを行いました。保護者の方に「先生、うちの子が言ってました。先生はあれで『やんくみ』を超えたなって。」と言われました。私は「まあひとつずつ、ちょっとずつやっていきましょう。」って答えました。その辺から、やんちゃな子どもの保護者には受けが良くなったような気がします。

保護者から「もう全部集めちゃって、先生が担任をすればいいじゃないですか。」って言われたこともあります。ほんとに作っちゃったら、私は全然平気なのでやってもいいかなって思いますけど、学校はそんなこと許さないでしょうね...。

部活は?

バレーボール部を持つのが、夢だったってお話ししましたが、3年目にやっと夢がかないました。念願のバレーボール部を持てたので、私は舞い上がりました。もう最高と思い、他のことが見えなくなり、夢の世界に突入して行きました。

バレーボールは、今までの自分がいつも目標達成ならずで終わっていて、「こうしたかった、ああしたかった。」っていう悔しさがバネになり、エネルギーになっていきました。休みもろくに取らずに、全力でバリバリ練習をやっていきました。

部員には、求めるレベルがどんどん高くなっていき、時々「なんでできないんだ!」って怒鳴ったり、ボールをぶつけることもありました。ただ、ある程度結果が出てきていたので、生徒も「先生について行けば」っていう感じになり、保護者もどんどんやってくださいっていう雰囲気でした。

私はまるで崖っぷちに立っているような感じでした。目標となる先生もいないし、ゴールも見えない中で、迷いに迷って、全てを自分の中に溜めこんでいきました。チームの状況を冷静に見ることができず、結果を求めるばかりに、しまいにはビンタも辞さないというふうに練習がエスカレートしていきました。完全に周りが見えなくなっていました。

周りで見ていた他のチームの先生がたは、心配して「ちょっとやり過ぎじゃないか。これ以上やらせたら危ないんじゃないか。」と言い出し、それが校長の耳にも入りました。結果として、私はバレーボール部の顧問を降ろされました。

今年はどうですか?

担任をはずれて副担任になりました。2年生の担任の時に色んな事件が起こったこともあり、そのまま3年生の担任になって、進路の問題も絡んでくると、私には負担が大きすぎると思われたようです。バレーボール部のこともあったし...。まわりの目から見ても、私はもういっぱいいっぱいに映っていたんでしょうね。

しばらく副担任にまわって、もう1度担任の仕事を勉強しろということだったのかも知れません。でも正直に言うと、あの頃は精神的に完全にまいっていて、前向きに捉えられず「別にどうでもいいや。もう先生やめてもいい。」っていう感じでした。

「公立の学校って、なんて保守的なんだ。前例主義ばっかりで先生は変化を嫌うし、安定志向の先生になるなんて、私はイヤだ。考えてみれば、私には元々この仕事は合っていなかったのかもしれない...。自分には、もっと競争があったり、新しいことに挑戦できるような仕事のほうが良かったんだ。私立の学校でも探してみようか...。」

色々考えましたが、結局、「今年1年は、自分を変える充電期間としてしばらく流れにまかせてみよう。」と思いました。

自分を変えるために何をしたのですか?

その頃偶然に見た「X JAPAN/LAST LIVE」で、ドラムを叩くYOSHIKIさんに、なぜかものすごい衝撃を受けました。なんだろう...、無心っていうか、あれだけ1つのものを集中してやれるって凄いと思った。その姿は、過去の夢にとらわれたり何かに執着したりしている、私の心の壁をぶち壊してくれました。その頃から、私の中で何かが変わり始めました。

テレビでYOSHIKIさんが「普段はロスに住んでいるけど、日本に帰って来た時は天王洲アイルの近くにいる。」って話していて、「天王洲アイルってどんなとこ?」って思い、見に行ってみました。駅を降りて回りを見わたした時、「自分の居場所はここだ!」と感じました。1カ月後、私は今まで住んでいた部屋の荷物を何もかも捨てて、スーツケース1個だけを持って、天王洲アイルに引っ越しました。

寅さんみたいだね(笑)。

マンションの窓からの眺めが最高なんです。右からは羽田からの飛行機が飛び、目の前はお台場のフジテレビの球体、左にはレインボーブリッジが見えます。部屋の中にはテレビもないし、冷蔵庫も電子レンジもありません。今はベッドとピアノだけ。

小学校の時からピアノをやっていたのですが、大学の頃からいっさい弾かなくなっていました。もう一度弾いてみたいと思い、あのYOSHIKIさんが弾いているクリスタルのグランドピアノが欲しいと思い、調べてみたら630万!しかも部屋に入らないし...。とりあえずそのピアノが置いてある表参道のピアノ店に見に行きました。

結局そのクリスタルピアノに一番近いところに置いてあった、電子ピアノを買うことにしました。店員のかたと色々お話していたら「今度お支払いにくる時に、このクリスタルピアノで1曲弾いていってもいいですよ。」って言ってくれたので、しっかり弾かせてもらいました。弾いた瞬間は「音が見える!」って思いました(笑)。

以前は夜型だったけど、今は3時に起きて、シャワーを浴びて身支度して部屋の掃除をして、それから始発の時間までピアノを弾いています。それから始発電車に乗って、1つ前の駅で降り、学校まで土手を3キロほど歩きます。金八先生みたい?なんか嫌なことがあったら、走ったりね。通学には片道2時間半くらいかかりますが、気分転換になっていいんです。

その他に変わったことは?

ダイエットを始めました。本に、ストレスは贅肉になるって書いてあって、ふと痩せてみようかなと思い立ちました。その頃行っていたジムで基礎代謝量を測ったら1600キロカロリーちょっとありました。何もしなくても基礎代謝分は燃焼するんだから、それ以上に食べなかったら太らないんだって思って、食事を1700キロカロリーに制限することにしました。

1700キロカロリー超えない範囲であれば、何を食べてもいいことにして、甘いものも平気で食べていました。そのかわりしっかり計算して、1700キロカロリー以内におさえて。そうしたら、4カ月で10キロ痩せました。

11月から、渋谷のジムにも行き始めました。タレントの人もよく通っているジムで、最初に行った時、ホントにタレントさんがたくさんいてびっくりしました。会費は他のジムよりはちょっと高いですけど、最高のトレーナーさんがついてくれて、今トレーニングがとても楽しいんです。体が変わってくると、行動も変わるし、考え方も変わるような気がします。

仕事づけじゃなくなった?

そうですね。仕事が嫌になっちゃったっていうところが出発点だったんですけど、「じゃあどうしたい?」って自問するうちに、自分の本心やほんとうにやりたいことがわかってきて。中・高・大って我慢して、ガンガンに押し込められていたものが放たれたような。

休みもいっぱい取るようになりました。小中高は皆勤したんですけど、今年はこんなに取る人はいませんって注意されるくらい、お休みをいっぱい取りました。前の自分だったら遠慮していたのに、今は、休むことは悪いことじゃないと思っています。1年間で20日お休みが取れて、去年までは全然休みを取らなかったので、繰り越しで40日あったんですけど、今年に入って既に36日も取っています。

休んでだらだら寝ているわけじゃなくて、なにか新しいことを求めて動くことで、それが仕事を続けていくためのエネルギーになっているような気がしています。勤務時間も、最初の頃は11時くらいまでいましたが、今はほとんど残業しません。残業しなくてもいいような仕事術を本で学んで、それを実行しています。

たくさん変わりましたね。

やっと自分が見えてきたというか、やりたいことが見えてきました。人の目を気にするとか、人に左右されるとかがなくなって、自分が今できることをせいいっぱい楽しくやろうって考えられるようになりました。

前は、仕事がつらくても、自分のためより人のためにっていうことにすごく執着していました。ああしなきゃいけない、こうしなきゃいけない、なんとかしなきゃいけないっていつもネガティブに言ってきたんですけど、でも今は「自分が楽しい」っていうところに基準を置いています。

今までは、結果をすぐに求める短距離走のようだったけど、続けることの大事さも知りました。掃除をやり続け同じことの繰り返しでも、積み重ねていくことで色んなことが見えてくるんだなってわかりました。

前は失敗しちゃいけない、うまくやんなきゃっていつも思っていて、やっぱり失敗するから落ち込む。今は、失敗しても、どうにかなる、乗り越えられる、大丈夫って思える。失敗が楽しくなってきたっていうか、だから、なんでも躊躇せずにすぐにやりだせる。長い旅でしたけれど、色んなものを捨ててこられたからなんだと思います。

授業は今、どんな感じでやっていますか?

1、2年目は、指導案を細かく見てやっていたんですけど、研究授業のようには毎日やれないので、今は、時間と場所とルールだけを決めて、ドンってやらせます。そのかわり生徒の様子を良く見ていて、わからない時は「どうしたらいいと思う?」って生徒に直接聞いちゃう。

生徒の意見を聞きながらやっていくと、生徒もやりやすいし自分もやりやすい。強制じゃなく、生徒と一緒に授業を作って楽しんでいるっていう感覚で、うまく行ったらほめてあげます。そうすると、授業を見ていても楽しいし、全然負担になりません。

生徒とのコミュニケーションはどんなふうにとっているの?

今は1年生の副担任をやっているので、1年生が主ですね。この前、職員室で電話していると、窓をコンコンってたたくヤツがいて、ウン?って見たら、金髪の3年生が立っていました。染めてきたばかりのようで、私は思わず「似合うじゃん。」って言いました。

彼は進路のことが気になるようで、相談したいようすでした。それとなく「勉強、どう?」って聞くと、「いや、オレはやればできるんだよ。」って言うので、「その髪はどうしたの?」って聞くと、「いや、なんか腹立つからさあ。」って言うので、何が腹立つのか聞きました。そのあと、もうすぐ3者面談があるよって教えて、「その髪、どうしようか?」って言ってみました。

「やっぱり、クロのほうがいいかな?」って言うから、「えー、せっかく染めたのにもったいないじゃん。」って言ったら、「先生なんだから、そこでクロにしろって言えよ。」って逆に怒られてしまいました。後日、黒く染め直してきたので、私は「やっぱり、そのほうが何倍もかっこいいよ。」ってほめてあげました。そんな感じです。

生徒に人気がありそうですね(笑)。

生徒に対して、これもダメあれもダメっていう感じでやっている先生もいますけど、生徒が金髪にしたり、遅刻して来たりしたとき、速攻でダァーって怒っちゃうと反発されるだけで終わってしまうんです。髪を染めたり、目立つ格好をするのは、やっぱりそれなりの理由があります。それは、たいてい寂しさからだったり家庭の事情からだったりするんですけど、そのことにも目を向けるようにしています。

生徒は話すことで冷静になれて、そうするとこっちの話も聞いてくれます。学校に来るだけでせいいっぱいの子もいるので、そういう子に対しては、まずは学校に来たことを認めてやります。いわゆる不良の子達っていうのは、刹那的な楽しさを求めて生きているっていうか、自分のほんとにやりたいことだけをやっている。時々、今を生きるってこういうことなのかなって思ったりします。

偉そうに言っていますが、実は自分もよくキレますので...。頭にくることがあると、更衣室の自分のロッカーをボコボコに殴っちゃったり。なぜかそういう時には、不良のやつは敏感なんです。私の表情を見て「どうしたの?今日キレてるでしょ。」とか聞いてくるから、「うん、ちょっと色々あってね...。」って言うと、「どうしたの?話してみろよ。」とか言ってくれたりします(笑)。

今の夢はなんですか?

体育教師になるのが夢でした。でも夢ってかなっちゃうと、夢のままのほうが良かったのかなって今は思ったりします。夢が叶ってしまったら、前には何もなくなるから...。次の夢は、YOSHIKIさんと一緒にピアノを弾くことかな(笑)。

ニチジョ生にメッセージをお願いします。

もし、先生になりたいんだったら、先生になったら何をしたいかっていうのを必ず、持ってほしいですね。ただなりたいだけだと、それだけで終わっちゃうので、結局受からないと思います。だから必ずなってからのことを考えること。

私が受かることができたのは、やっぱり先生になってからやりたいことがあったからだと思います。だから合格っていうことは自分の中では通過点だった。なって何をしたいのか、そこが明確になればなるほど受かる可能性が高いと思います。どんなことでもいいから、考えておけば、必ず思いはつながりますから、あきらめないことが大事です。

2年目に教員採用試験の補助員をやりました。暑いなか、汗だくになりながらも真剣に自分のやるべきことに集中していている人を見ていて、こんな人こそ先生になってほしいなって思いました。

教師になったあとに悩むことがいっぱい出てくると思うんだけど、そのことに対するアドバイスは?

そうですね。そうしたら...、とことん落ち込んでしまえってことですね(笑)。ガーンって落ちるところまで落ちると、どこかで、もうこれ以上ないっていう、そこまでいっちゃえば、もう大丈夫!