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スポーツ・サービス系
スポーツイベント企画・運営会社

森村 ゆき(1997年度卒)

Run for smile 株式会社・代表取締役


ビジネスとチャリティとスポーツを結びつけたらこうなった!

森村さんは大学時代までは部活に集中していました。卒業後はスポーツ関係の仕事はしないと決め、マンションデベロッパーで働いていました。ある時、スポーツの素晴らしさにあらためて気づき、スポーツイベントの企画や運営をする会社を始めました。
<2013.07収録>

「Run for smile」って、どんな会社ですか?

ランニング関係のイベント企画や運営をやっています。コーチを招いてランニングレッスンをしたり、大会のボランティアのマネジメントをしたり...。2010年に立ち上げて、社員は今のところ私ひとりですが、必要に応じてスタッフを集めてやっています。
他に2005年から「パラカップ」という、世界中の子ども達を支援するチャリティーマラソン大会を始めて、2010年に社団法人組織にしたので、その代表理事もやっています。「パラカップ」についてはこちら新しいウィンドウが開きます

はじめからそういう仕事をやっていたのですか?

いいえ、元々はマンションデベロッパーに勤めていて、マンションを売っていました。ニチジョを卒業して10年くらいですが、その時々で転機があり、気がついてみたらこういう道に来ていました。

大学時代は何になろうと?

大学までは部活(バスケットボール)に集中していました。くたくたになってもう限界っていうぐらい練習していました。でも2軍だったのでこれと言った実績もなく、「将来どうやって食べていくんだ?!」と思っていました。ただ教員やスポーツ関係の仕事はしないと決めていました。スポーツ以外の世界を見てみたかったし、スポーツしかして来なかった自分の実力が社会の中でどれくらいの位置にいるのか知りたかったからです。
それでいざシュウカツとなった時に自分探しをしました。「スポーツの他に何か好きなことあったかな...?インテリアとかいいかも。」と思って、あるハウスメーカーを受けました。でも面接に行ってみて、「これは私はとても受からないな。」と思いました。
他のシュウカツ生はみんな準備万端整えて面接に臨んでいるのに、私は何の準備もできていなくて面接のやり方さえ知らないんです。「みんな、そういう準備をしてくるのか。そんなの知らなかったよー!」という感じでした。
スポーツなら決められたルールがありその中で戦うのに、シュウカツはどれだけ早くスタートしても、どれだけ自分をアピールしてもいい。シュウカツと言う土俵にも乗れていない自分が悔しくて、その1社だけでシュウカツをやめてしまいました。

卒業してどうしたの?

技術を身につけようと、インテリアコーディネーターの専門学校に通いながら、マンションのモデルルームの受付のアルバイトをやっていました。その時にマンションデベロッパー会社の中途採用試験を受け、一般職として採用されました。社員が100人ちょっとの会社でした。
私はてっきり「営業をやるもんだ。」と思って入ったのですが、そこで初めて「一般職って事務職なんだ!」とわかり...。仕事は、営業が取って来た契約書やタイムカードの管理、小口現金の精算、毎週マンションが何戸売れたか役員に資料を出したり...。
けっこう忙しくて徹夜もしていましたが、同期で入った営業が2年目くらいでマンション開発を担当し数億円の予算をまかされたりしているのを見ると、「自分の仕事は誰にでもできるし、ある日バイトを雇うと言われたらなくなるな。」と思いました。
事務職を3年続け25歳になって、「なんとか自分の力を試せるような仕事を探して転職しよう。」と決心しました。

転職活動はうまくいきましたか?

住宅関係の会社を探して2社ほど面接に行ったのですが、どちらも全く相手にされませんでした。「3年間事務しかやってこなかった人が営業なんか出来るわけがないじゃないですか。給料も下がるのに何であえてうちの会社に来るんですか?」こっちは必死で「いや、仕事ができるようになりたいんです。給料は少なくてもいいんです。」と言ったんですけど、最後は「うちの会社をバカにしてるんですか?」とけんもほろろに断られてしまいました。
そんな中、飲食のチェーン店で急進していたベンチャー企業が唯一採用をOKしてくれました。それで上司に「辞めます。」と言ったら、「そんなに営業になりたいんだったら、営業になる試験を受けてみれば。」と勧められ...。会社には営業になるための試験があったのですが、それはとても難しいと聞いていて、私には到底受けるチャンスもないと思っていました。
でも受けてみたら受かったんです。社内で営業になることができたので、転職が決まっていた会社はお断りしました。

営業になってみてどうでした?

3年もいるので当然なんですけど、新人扱いもされず、営業をどういう風にするのか誰も教えてくれません。だから最初は大変でした。物件には当たり外れがあって、最初に担当した物件が1カ月たっても2カ月たっても1戸も売れないんです。そういう物件に2つぐらい立て続けに当たりました。
会社では「誰が何億達成。」みたいな表彰もあったし、1人あたりの目標も与えられていたのですが、私は残業はするけれど売れなくて会社に全然貢献していない、給料泥棒のような存在になってしまいました。

それは会社にも居づらいですね。

見かねた隣の課の先輩が、「自分の課に。」と異動させてくれました。そこで営業のコツを1から教えていただきました。教えられたことを誰よりも努力する自信はあるんです。先輩の話には、「あ、そういう方法でやれば良いんだ!」とか「そういう仕事の進め方があるんだ!」というヒントがたくさんありました。
それをひたすらやっていたら、ようやく目標達成できるようになりました。会社に入って初めてちゃんと仕事をした気がして、そこからは快進撃で俄然仕事が面白くなりました。
目標が達成でき、少しは会社に貢献できるようになって営業のスキルも身に付きました。「ビジネスウーマンとしてはそこそこ出来た方じゃないか。」なんて思っていました。でも仕事はできても生活はぐちゃぐちゃで、実際にはほとんど毎日深夜まで働いていてストレスも溜まり、今よりずっと老けていたと思いますが(笑)。
営業に慣れて来ると、新規物件のプロジェクトマネージャーとして、物件の企画や予算管理、広告なども任されるようになります。ひとりで数億円の予算を任せてもらえる仕事なんてそうないので、今思うともっと真剣にやっておくべきだったのですが、私はそういうことには全く興味が持てませんでした。
働いて6年目の頃に、結婚しました。彼は、学生の頃からフィリピンの子ども達を支援するボランティア活動をやっていて、活動の一環で年に1回フィリピンの子どもたちに会いに行っていました。
ボランティアなんて私には無縁だし「フィリピンの子どもたちのことなんて考えられない。」と思っていましたが、「やらずに文句を言うのも...。」と、ある時、一緒にフィリピンに行ってみることにしました。

フィリピンはどうでした?

その当時のフィリピンは今よりも治安が悪く、空港に着いてタクシー拾うのにもひと苦労でした。子どもたちの住んでいるスラムに行ってみると、私の見たこともない世界が広がっていて...。ゴミがたまっているところは臭いがきついし、語学ができなかったのでコミュニケーションも取れない。1日で「もう帰りたい!」と思いました。
でも現地の人と触れ合っているうちに、私たちの訪問を心から喜んでくれているのがわかり、とても親切にしてくれ、「やっぱり来て良かった。」と思うようになりました。フィリピンのスラムに泊まり現地の人と数日生活するなんて、普通に暮らしていたら体験できないですよね。毎年泊まりに行きますが、今ではすっかり仲良くなって行くのが楽しみです。

仕事をしながらそんな活動までするなんですごいですね。

平日の夜や土日に活動をやっていました。主人と一緒に活動をやっている仲間を見ているうちに、「仕事が出来ることと、人生が豊かになることは違うんだな。」と思うようになりました。忙しくても、イキイキと社会貢献活動に精力的に取り組んでいる。
私ももっと積極的に活動に関わりたいと思い、その先の人生についても考え始めました。「本当にやってみたいことにチャレンジしよう。」と、自分の思いを上司に伝えて、会社を辞めることにしました。

その頃にホノルルマラソンに参加したそうですね?

会社の先輩がホノルルマラソンを走ったと聞いて、「これは体育大卒の意地にかけても、私の一生の経験の中に入れておかなければ。」と思い(笑)。当時ギリギリ29歳で、30歳になる前に行っておこうと、友達と一緒に会社を辞める直前に有給休暇を取って走ってきました。
部活時代はよく走っていたので長距離は得意でした。速いか遅いかはともかく人並み以上には体力があるはず。走る練習をちょっとだけして、「あとは出来るでしょー。」という感じで参加しました。足はすごく痛かったけれど完走できました。
マラソンを走ったことで、久しぶりに部活時代の感覚がよみがえってきました。大学の時は今では信じられないほど練習をしていたし、部活は私にとってみんなで頑張ってきたかけがえのないものだったことを思い出しました。でも就職活動ではその経験が全く役に立たなかった。そのことにショックを受けた私は、社会に出てからは部活時代のことはずっと封印してきました。
だけど走りきれたのは、やっぱり部活で鍛えた根性があったからだし、最後まで諦めない心があったからです。フルマラソンの最後は、左脳なんか働かなくなって右脳しか残りません。自分の中のいちばん大事なものが見えてきて、「生きてて良かった。」と自然に感謝の気持ちが生まれてきます。
昔スポーツで頑張っていた人ってたくさんいるじゃないですか。でも甲子園に行った人でも、今ではしょうがない親父になっていたりしますよね(笑)。「みんなでトップを取ろう!」みたいな気持ちが学生時代にはあったのに、大人になるともうチャレンジすることをあきらめてしまっている。
「そんなことじゃいけない。あの頃の根性を、社会人としても出していかなきゃいかんだろ。」って思ったんです。それで「来年はもっとたくさんの仲間を連れて大会に出よう。」と思いました。

翌年のホノルルマラソンは?

たくさんの仲間をつれて出ようと思っていたホノルルマラソンですが、友達が「そういうの、日本でやればいいんだよ。」と言い始めて、「スタートとゴールを決めてみんなで走ればいいんでしょ?」「でもただ走る人なんているかな?」「じゃあ参加することで社会貢献になるようにしたらいいんじゃない。」「それ、いいね!」と盛り上がって、仲間でチャリティーマラソンをやることになりました。
いつも活動しているチャリティ団体のイベントとして100万円集めようと、2005年の5月に400人規模で「パラカップ」という大会をやりました。私の中の全てがそこに凝縮されているので、絶対やりたかったんです。

その頃は仕事は?

友達の紹介でアルバイトをしていました。その時面接に立ち会う機会があり、そこで初めて「会社はこうやって人を取るのか!学生はこう自分をPRしてくるのか!就職活動ってそうやるのか!」とわかりました。やっぱりその場で輝いている学生はいるもので、思えば「私は輝かない学生だったな。」と改めて思いました(笑)。
第2回パラカップ大会の時大会のボランティアに来てくれた人が、「来年、東京で大きなマラソン大会があるので興味があったらやりませんか?」って誘ってくれ、「面白そうだな。」と思ってやったのが、2007年の第1回東京マラソンの仕事だったんです。
「笹川スポーツ財団」という所で仕事を3年間やり、運営母体が変わった今も仕事は続けています。
就職する時は「自分がやってきたことは何ひとつ役に立たない。」と思ったのに、いつの間にかスポーツの世界に戻って来ていました。ここにたどり着くまで長い道のりだったけど、自分が学生時代に一所懸命やってきたことがやっと世の中に認められる時代が来たという感じです。

スポーツが必要とされている時代、ニチジョ生はもっと活躍できる場所があるのでは?

ランニングに限らず、生きて行く上でも仕事をする上でも、運動する事がすごく重要になってきました。運動を教えることの価値も上がって来ています。よく「どうしたらそういう仕事に就けるんですか?」って聞かれるんですけど、私の場合は色んな人が助けてくれ、気がついたらこうなっていたというのが本当のところです。
今は、体育大じゃなくても「スポーツの仕事をしたい」って思っている人がたくさんいます。ただ正直に言うと、そういう子たちのほとんどは企業から見れば欲しい人材ではないんです。それはこちらが求めるビジネススキルに達していないからです。あと、スポーツが素晴しいってやったことある人なら誰でもわかりますが、その素晴らしさをちゃんと言葉で人に伝えられる人は少ない。
私はたくさん回り道をした方がいいと思っています。社会に入って色んな世界を見て来て、初めて「自分の役割はこれだ。」って自信を持って言えるようになるんじゃないかな。それが分からないままスポーツの仕事をしても何も出来ないと思う。1回どこかの会社で死ぬほど働いて、世の中の色んな事を分かってからこの世界にまた戻ってくればいいんです。スポーツだけの世界にいちゃダメ!
私も学生時代は部活しかしていなかったから、社会人と触れる経験も少なく、世の中のしくみや厳しさをわかっていなかった。どうやって会社が成り立っているのかとか、どうして会社が「この人を雇いたい。」と思うのか、全然分からなかった。アルバイトに「週3日行きます。」と言って採用され、部活があるので週2日はたいていドタキャン、部活を休めた日だけひょっこり「今日行きます。」という感じで、世の中の常識から相当ズレていましたね(笑)。

社会経験を積むことが必須ですね。今のスポーツ業界についてはどう思いますか?

今のスポーツ業界は、ニチジョ生みたいなアスリートじゃなくて、逆にスポーツをやってこなかった人達で成り立っています。トップアスリートの人達をケアする仕事なんてほんの一握り。逆に「走るのが大嫌いだった。」人が「マラソンって楽しいね!」って、仲間で励ましあいながら走リ出す。「私達はもうそんなの散々学生時代にやったよ!今頃分かったの!」って感じですが(笑)、今はそっちの市場の方がすごく広がってきています。
ニチジョ生なら「早く走れないのに何が楽しいんだろう?」と思うかもしれません。でも80キロの人が走りだして60キロになったとか、その人なりの喜びを見出しているんです。そういう人たちの気持ちが分からなくてはいけません。

アスリートであるほど、市民ランナーと一緒にしてほしくないのでは?

私もそうでした。部活を引退後は身体が衰えて、今まで動いていたものが動かなくなるのを自分で認識するのは嫌なので、「バスケットはもうやらない。」って決めてました。マラソンでも記録は狙わないと思っていた。でも走り始めたら、スポーツをやってなかった人に負けるのはやっぱり悔しいんです(笑)。
友人の誘いでマラソンをちゃんと練習したら、3時間半で走ることができました。そうしたらまたハードルが上がって今度は3時間15分となり、それを実現するのにまた3年ぐらいかかり...。マラソンは頑張った分だけ速くなるスポーツだから面白いんです。もう、昔スポーツやってたとか、実業団にいたとか関係ありません。
私は今、市民ランナーとして走っていますが、エリート選手からすれば「何の為に?」かもしれません。「オリンピックの選考レースにも出れるわけでもないのに、レースでタラタラ走って何になる?」って。
でも市民ランナーだってレースに出れば、そこには自分なりのチャレンジやドラマ、ロマンがある。パラカップをやっていると、「スポーツを楽しんでいる人がこんなにいるんだ。」って実感します。ニチジョ生もボランティアに来たらきっと世界が開けると思いますよ。

これからどうなりたいですか?

これからも一般の人に、スポーツの素晴さを広めていきたい。何かの統計に「これから先お金を使いたいこと。」1番は何だか忘れたけど、2番に「健康に関すること」が入っていました。そういう人達に対してどんどんアプローチしていきたい。ビジネスチャンスはすごくあると思うし、マーケットは無尽蔵です。
学生時代は、命賭けて部活をやっていたけれど、その後の人生の方がずっと長いとわかりました(笑)。今は回り道をしても、自分が素晴らしいと思っているスポーツを、ビジネスという形で広く伝えられるようになれればいいと思っています。