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医療・福祉系
作業療法士

橋爪(旧姓 阿部) 千絵(2002年度・健康スポーツ学専攻卒)

病院精神科勤務


最初の授業でトラックを周回遅れのドベで走った。

橋爪さんは、作業療法士として病院に勤務しています。ニチジョを卒業後に専門学校に行き、作業療法士の資格を取りました。一見遠回りしたかのように見えますが、本人にとっては、ニチジョでの経験がとても重要だったようです。
<2009.03収録>

今の仕事について簡単に教えてください。

作業療法士の仕事をしています。作業療法士というのは、身体や精神に障害があったり障害が予想される方に対して、遊びや創作的なものから日常生活に関連するものまで色々な作業活動を利用して、様々な機能の回復や維持を図り、その人らしく主体的に生活できるように支援をしていく仕事です。私は病院の精神科に勤めていて、おもに入院されている患者さんに精神科作業療法と呼ばれるものを行っています。

作業療法士の守備範囲は、私がやっている精神科作業療法の他にも、自閉症などの発達障害や骨折などの身体的なものに対するリハビリもあります。病院以外にも、デイケアや患者さんのお宅に訪問する場合もあり、例えば、患者さんが洗濯機の使い方がわからないとか、料理がちょっと難しいとか、仕事に就きたいけれどストレスに弱くてできないとか、困っていることがうまくできるよう、1人1人に色んなアプローチをします。

精神科の患者さんの症状はどういうものが多いのですか?

統合失調症や躁鬱病、人格障害、認知症などの患者さんが多いです。私の病院では統合失調症の方が全体の6~7割です。昔は精神分裂病と言われていた病気で、人によって症状が違いますが、主に思考や自我意識の障害などで、うまく対人関係が築けなかったり、自発性が低下してしまったり、人によっては幻覚や妄想で生活に支障をきたしたりします。

薬物療法や作業療法を長期的に継続することによって、症状を緩和させ、生活のしづらさを改善させていきます。薬で一時的に抑えられても、症状が慢性的に残っていく方もいらっしゃるので、病気とうまくつきあいながら生活をしていけるような対処方法を一緒に考えたり、その人が興味を持てる作業活動を提供して、幻覚とか妄想に左右されずに現実的な部分に意識を向けられるようにします。

どんな作業療法を行うのですか?

作業と言っても、決まったことをやるわけではなくて、それぞれの患者さんができることや興味のあるものをやります。たとえば塗り絵が好きだったら塗り絵をしてもらったり、他者との交流が苦手な方には、集団レクレーションをやってもらったり...。

その裏にはちゃんと意図があって、塗り絵をすることで精神機能の安定を図ったり、集団レクレーションの中でコミュニケーションスキルの向上を図ったりします。患者さんが100人いたら、100通りのアプローチがあるという感じです。

骨折などのリハビリであれば、結果が目に見えるのでわかりやすいのですが、精神科の場合はその点が難しいですね。この作業を提供したから、これだけ良くなったとははっきり言えない。もしかしたら薬のおかげかもしれないし、看護婦さんとの関わりなのかもしれないですし...。

だから、作業療法士ってこうですって説明しづらくて、ピンときにくいかもしれません。そのぶん奥が深い仕事だなあと思うんですけど。

どうして作業療法士になろうと思ったのですか?

私は高校の時まで、瀬戸内海の蒲刈島っていうところで育ったんですよ。のーんびりした、ほんとにのどかな、東京とは真逆のところでした。高校の頃は、漠然と手に職をつけたいと思っていました。なぜかわからないんですけど、そうしないとやっていけないかなと思ってた。親からも「手に職や、手に職や。」って言われていたのもあります。なんか自分らしいことで、できることはないかなあって探していました。

高齢化社会と言われていますが、私が育った島も3人に1人は高齢者でした。高齢者の医療費がかからないようにするためには、「まずは自分自身が病気にならんような体力作りとか、健康づくりを意識することが大切だなあ。」と思って、そういう分野の仕事ができればいいなと思っていました。そんな頃、なんかブッとい仕事の本を見て、作業療法士っていう仕事を見つけました。

なぜニチジョを受験したのですか?

作業療法士の資格が取れる大学を探して、医療系のリハビリ学科を受験しました。作業療法士になるには、国家試験を受けて合格する必要があります。専門学校か大学に行くかで違うんですけど、3年から4年かかります。

ニチジョを受験したのは、たまたま日本女子体育大学が健康スポーツ学というのを立ち上げるっていうのを目にしたからです。資料を取り寄せてみたら、「健康スポーツ学は、高齢者とか障害を持っている方でも、病気にならないよう、あるいは病気になってもそれ以上進行しないように、スポーツを通して健康づくりを意識してもらいます。」とか書いてあって、「あー、私もこういうの目指しています。」って思ったんですよ。

体を動かすって人間の基礎って言うか、生きてく上ですごい大事なことじゃないですか。私は体育は得意じゃなくて、成績はいつも3とか2でした。でも運動することは、好きでした。私もスポーツを通して、健康作りのために、なにかできたらいいなと思いました。ニチジョでは作業療法士の資格は取れないけど、方向性が似ているということで受けてみることにしました。試験は筆記で受けました。実技でやったら、絶対落ちてる(笑)。

それでニチジョを選んだのは?

医療系の大学は落ちてしまったんです...。「どうしようか。もう1年浪人してからまた受けようか、それとも体育大学に行こうか。」って悩みました。

自分の身長が147センチ、まずそこですごい悩みました。自分なんかが、はたしてほんとに体育大学に入学できるのかと思って、ニチジョに電話して「150センチ以下のひと、いますか?」って聞きました。そうしたら「いますよ。」って、150センチの人でパンフレットかなんかに載ってる人がいるって教えていただいて、送っていただきました。「ああ、低い人でも行けるんだー。なるほど、人は見かけやないんや。」と思いました。

島でのんびり暮らしていたので、未知の世界に足を踏み入れることにもすごく興味がありました。私、なにかギャップのあることをしたかったんですよ。体も小さいし、まさか体育大学って思いがありながら、一方では、自分が経験したことがない、太刀打ちできんようなところに挑戦してやろうっていう気もちもあり...。それなら、やりたいことと一致していそうな、体育大学もいいかなって思い...。

色んな思いがありながら、「うーん、作業療法士の資格は取れないけど、目指している方向性は一緒だから、やってみよう。」ということでニチジョに決めました。最近思うんですけど、人間って、こうなろうと思ってやったことと、全然それに反することもやってしまうんだなと...。障害あるなしに関わらず、みんなそうやと思うんです。私もそれで悪戦苦闘したんですけどね。でもそこから学ぶものもすごい大きかったんです。

ニチジョに入ってみてどうでした?

「みんなすごいアスリートばっかりや。やっぱりスポーツをずっとしてきた人間が来るところやった。」いちばん最初の授業で、トラックを周回遅れのドベで走りながら、そう思いました。実技の授業についていくのが必死で、常に自分が他の人よりもスポーツができないっていう現実にさらされました。勉強だったら努力をすればできるけど、スポーツって身体的な才能とかもあるから、すごく苦戦をしました。

特に水泳の授業では、ほんとに死ぬかという思いをしました。あのプール、いちばん低いとこでも150センチなんです。先生が説明を始める時点で、もうおぼれそうなので、友達に抱きかかえてもらって、お話を聞いていたという状態でした(笑)。ほんと、みんなには助けられました。いつもぎりぎりで友達の助けを得ながらなんとかやっていきました。1人では、とてもじゃないですけどやっていけなかったと思います。

4年間、よく続きましたね。

実は、入って半年くらいで「やっぱりやめたい。」って親に言ったことがあったんです。「やめてもう1回受験し直したい。」って。そしたら「それはおかしい。」って言われました。

「せっかく頑張って入ったところやし、4年間の中で考えも変わるかもしれない。体育大学でやれることもあるから、まずは1歩踏み出したとこで頑張ってみなさい。4年間やってみて、それでも気持ちが変わらんかったら、リハビリの学校を受けてもいい。」って言われたんです。

ニチジョをやめるのは思いとどまりました。親に止められたこともありましたけど、自分にとっては、研究室に入ったのが大きな転機でした。

3年生の時、石川先生の研究室に入らせていただきました。知的障害の子供たちとスポーツを通してかかわりながら、動作的なものを学習していくっていう、研究室でした。毎週土曜日に体育館で、知的障害や自閉症の子供たちが来て、1人1人の学生に、担当の子供さんをつけさせていただいて接することができました。

2年間の知的障害の方との関わりのなかで実践したこと、得られたこと、学んだことを、卒業論文として書き上げて出させてもらいました。そのなかで、専門的な知識が欲しいと思った部分もあって、もっと専門性を高めていきたいなあと思いました。それで、両親にやっぱり作業療法士の専門学校を受験したいと相談しました。

ニチジョ卒業後に専門学校に行ったのですね。

3年間行きました。学校は大阪の高槻市にありました。今までの人生の中で(まだこれからいっぱいあると思うんですけど)、いちばん厳しかったですね。レポートとかで、寝られないのはあたりまえでした。授業で1単位でも落としたら留年で、40人入学して卒業できたのは29人でした。

長期実習があって、それもすごく大変でした。実際に病院に行って、患者さん(ケース)をつけさせていただいて、教えていただきながらやりました。作業療法士って、けっこう人間性を問われるところもあって、先生から「あなたはここがいい、ここがだめ。」とか、細かく指摘されるんです。通信簿みたいなやつがあって、勉強、積極性、コミュニケーションスキルとか色々な視点から、そこまで言われるのかっていうぐらい厳しく評価されました。

みんなで徹夜して勉強して、国家試験は一発で合格しました。その後、学校にいろんな病院が来てくださって説明会があり、見学に行かせてもらったりして、私は大阪の精神病院に行くことになりました。

はじめてやってみてどうでした?

職場は、精神科の中にある認知症治療病棟でした。やっぱり机上の勉強と、現場では全然違うということを実感しました。働くのも初めてだったので、社会人としてなんかこう慣れていないというか...。今までは、友達とか仲間とか対等の立場が多かったので、先輩やお医者さん、看護婦さん、ご家族さんとの関わり方で、戸惑いと言いますか、すごく気を遣いました。

認知症の方ってすごく不安症状が強くて、自分がわからない、ここもどこかわからない、不穏状態で「ウォーッ。」となったりする方もいるんです。薬で落ちつきますが、それだけだったら、その人らしさっていうものがやっぱり欠けてきてしまいます。

色々な機能もどんどん落ちていく一方なので、作業療法で、残された残存能力を見つけて、それを引き出しなるべく維持させていきます。たとえば昔、編み物が好きで上手だったら、そういった能力を引き出して、その方の不安を軽減させたり、身体機能が低下しないように健康体操をやったり、できることを見つけ出して、維持できるようにアプローチする...。

できないことをできるようにっていうアプローチもやります。たとえばすごくストレスに弱い場合は、ストレスに耐性がつくようにとか。両方の視点からその方にとって必要なことをやっていきます。その人らしさを持っていてもらいたい、死ぬまで生きがいを持っていてもらいたいということを目指してやっていました。

なぜ今の病院へ移ったのですか?

今年の5月、結婚を機に移りました。今の病院は兵庫県にあります。ダンナは普通の営業マンです。自分の仕事に関しては、つきあったころから説明していますけどまだあんまり良くわかっていないみたいです。「なんか難しい仕事やなあ。」って言っています(笑)。

ダンナには、よく相談にのってもらったりするんですよ。私は、医療界に染まりすぎているというか、そこしか知らないので、やっぱり視野が狭くなっている部分があって。職場でこんなことがあってとか話して、違う業界の人の意見をもらうと「なるほどなあ。」とか思ったりします。その他にも患者さんの話、「この人がこうなって元気になってったー。」とか、嬉しかったこととか...。もちろん愚痴も(笑)。

どんな時に、やりがいを感じますか?

やっぱり、患者さん自身が元気になったとか、ご家族さんも、患者さんが前の状態くらいになって喜んでいるとか...。その瞬間が、いちばんやりがいを感じます。大変だった分だけ、やりがいも大きいです。でも、自分のやり方が良かったのかどうか、数値ではかれないことですからすごくわかりづらいんです。

そういう意味では、独りよがりなリハビリにもなりがちなので、単にお絵かきしているとか、遊んでいるって見られてしまわないように、自分は今、こういう目的で、このリハビリをしているから、その結果こうなったっていう、まめな振り返りをしながら、いつ聞かれても目的をしっかり言えるようにしないとなあって思います。

どんなことが大変?

もともとは人が好きなので、患者さんとの関わりの中で、これはしんどかったっていうことはあんまりないんですよ。たとえばすごく振り回されたり、依存されたりしてしんどくても、この人のためにって思ったら、できる。今のところできている。

やっぱり大変なのは、他職種とのやりとりとか、職場の人間関係ですね。ワーカーさんや、看護婦さんと、うまいこといかなかったり、説明しても自分の意図どおりに伝わってなかったり...。やっぱり人と人ですから、どうしてもすれ違ってしまう部分はあります。「どういうふうにしたらわかってくれるかなあ。」とか、逆に「あの人の言ってること、ちょっと難しくて理解しづらいんやけど、どうしたらいいかなあ。」とか...。

職場で衝突したりすることもありますか?

あきらかに衝突っていうのはないですけど、方向性の違いはあります。たとえば、認知症病棟にいた時ですが、ある患者さんが、認知症だけど歩ける能力はあって歩きたいと思ってる。私としても、歩ける能力があるのならそれは残したい。人ってやっぱり、生きてる限り自分が行きたいと思ったところに行きたい、トイレ行きたいと思ったら行きたいっていうのがベースにあると思うんです。

でも別のスタッフは「その方は歩けるけれども、すごく歩行が不安定でふらふらや。」だから「骨折されたら困る。人手も足りないし、目も行き届かないから、歩かせないで欲しい。」って考えたりもします。そういう時に「ええっ?」て思うんです。

もっと職員がいたら、活動の幅も広がるのに、実際には職員の数も少ないし、これ以上仕事を増やしたくないから、守りにはいる。私たちは、その人の能力を伸ばしたい、活動性を広げたいと思っているけど、それができない現状とか、たぶんどこにもあると思うんですけど、そのへんとどう折り合いをつけていくかですね。

幸い、私のその意見に賛同してくださる方もいるので、「あの患者さん、今、これだけ歩けるようになって、自分でも、外に花を見に行きたいって言っているんですけど、空いている時間があったら一緒に行っていただけませんか。」って、そういった方にお願いしてちょっとずつ草の根的にやっています。

ところで、ニチジョに来てよかったと思いますか?

ニチジョに来て、悪かったとか、遠回りをしたとかは、思わないんですよ。専門学校に入ったときに、実習とかすごく大変でくじけそうなこともあったんですけど、くじけそうになっていても、「うーん、もうちょっと踏ん張ってがんばるぞ。」っていう気持ちをつちかわせてもらったのは、ニチジョかなって思うんです。

私はスポーツで入ってないので、実技ではほんとに苦労して、必死こいて死ぬ思いしたりしたんですけど、でもそこで友達に教えてもらったり、「がんばろうね。」とか言ってすごく支えてもらいました。そのなかで、こう、やる気とか、意欲とか、「あきらめなければできるんや。」っていう思いを、学ばさせてもらったっていうのがあるんですよ。

研究室でも障害がある(子どもの)方を持たせてもらって、自分の中には簡単にできるだろうって思いがあったけど、実際は自分の思い通りにはいかなくて苦労したこととか、そういう色々なかかわりの中で、ニチジョにはすごく学ばさせてもらったなあと思うんです。

もしニチジョに行かずに、ストレートに専門学校に行ってたら、実際の患者さんを目の前にして、私はたぶんすぐ折れてたと思うんですよ。自分自身がんばれないし、うまいこと患者さんとも関係とれないし、「もうあかんわー。」ポキッて(笑)。

根性というか、負けん気というか、ここぞというときの粘り強さ。体育大って、なんかそういうの、あるじゃないですか。リハビリの学校で実習に行く時にも、それはすごく役に立ちました。崖っぷちに立たされたことも何度もあったんですけど、全部その負けん気とか、ど根性で、なんとかやって行けた。学校の先生とかにも、「きっと阿部は体育大学に行ったから、根性を叩き込まれたんだろうな。」って言われたり(笑)。

これからの夢は?

まだ3年目なので、もうちょっと経験を積んでいって、いつか、心が病んだかたに対して、なんかできんかなあと思っています。実家が島で民宿をしてるので、たとえばそういうところで、環境と、自分の資格を生かして。

たとえば、認知症の方専門のグループホームとか、あるいは心が病んだ方が、1週間でも1カ月でも滞在して、癒されて元気になって、「もうちょっと働いて見ようか。」って言えるような、元気が出る場所を提供するとか。すごーくいい環境なんですよ。スローライフというか、都会にはない(笑)。ほんとにのんびりできて、久しぶりに帰った私でも、ほっとするところなんです。

病院で働いて、心が病んだ方と接していて、ゆとりのある環境を提供したら、(薬とかリハビリとかのおかげもあるけれども)、その方の持っている自然治癒力で治っていく場合も多いんですよ。その人にとって安心できる、落ち着ける環境を提供することは、すごい大事なんやなあって思って。詳しいビジョンは決まってないんですけど、なんかそういうことがしたいなと思っています。

ほんとに今ストレス社会じゃないですか。大人もいじいじせかせかして、1分でも電車が遅れたらみんなイライラするような時代で、でもそれってどうなんかなって思ったりして。病院でも最近躁うつ病とかうつ病の方が多くて、ストレス社会を反映してるなあと思います。

たとえば認知症は進行性の病気なので基本的に良くなりはしないとしたら、自分がやっていることの意味というか、その辺とはどう折り合いをつけていますか?

やっていても、最終的には機能が下がって死んでいっちゃう。それは事実です。でも死ぬときに、自分だったらですけど、「生きててよかった。」って満足しながら、自分らしさというものを持ちながら死んでいきたい。死んでいくのはわかっているけど、じゃあそこで見切りをつけるのかっていったら、私はそうではないと思うんですよ。

死んでいくからこそ、その人が、最後まで持っている能力を保ちたいし、その人らしさを発揮したいし、家族さんにも見せてあげたい。死期がせまってるご本人にも、「自分はこういう人間やったんや。」って思って死んでいって欲しいんですよ。なんか、年取ると、すごくみんな自信がなくなって「私はもう、ぼけ老人やから、死んだほうがましやー。」って言う人もいるけど、心の奥底ではもうちょっとかまって欲しいとか、話をしたいとか、こんなことしたいとか思っている方が多いんですよ。

人間やったら絶対そういう思いって、あるんやろうなと思って。これから死にゆくものをばっさり、私は切り捨てることはできない。むしろ人生の大先輩であるし、そういう方から学んだことってすごく多かったから。どんなに認知症が進んでも、昔とった杵柄、そういうのを大事にして、その人らしく最期を迎えてもらいたい。きれいごとかなと思うかもしれないですけど...。

いい仕事、していますね。

まだ3年目ですし、自分が作業療法士に向いているってはっきりまだ言えません。今はもっと引き出しを増やして、医療だけじゃなくいろんな分野の人と接して、いろんな話を聞きたいです。

これから作業療法士になりたいと思っている人にアドバイスを。

私が作業療法士の仕事に就きたいと思ってニチジョで相談したら、OGで作業療法士の方をご紹介していただきました。その方に、「頭で考えている作業療法士と、現場を見るのとでは意識もかわってくるし、モチベーションも変わるから。」っていうことで、施設を紹介していただいて、実際に見学に行かせていただきました。みなさんも、ぜひ現場を見てみることをおすすめします。

あと、なりたいと思ったら早めの準備ですかね。今、作業療法士の学校が増えすぎて、飽和状態になっているみたいで、受け皿が少ないようなんです。いかに専門性を持ってやっていくかが大事になっているので、どの分野で働きたいっていうことも、早めに考えていったら進みやすいかなあと思います。メールをくだされば相談に乗ります。

最後に、久しぶりに来た東京はどうですか?

新幹線で来てさっき着いたばかりなんですけど、満員電車が人身事故で遅延、どこ行ってもみんな並ぶー、コインロッカー探すのにも1時間半かかる、ビルばっかり、自然ないわー、いやー、東京はすごいなあ、みんな疲れないのかなあと思って。

学生の頃は、物珍しさのほうが先行して、新宿とか下北とか楽しいって思っていたんですけど、5年ぶりに来て、「ああー、ストレスかかっとる、落ち着け、落ち着け。」って思いました。たった数時間で精魂尽き果てた感じです(笑)。