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ダンス系
ダンサー・振付家

川村 美紀子(2011年度・舞踊学専攻卒)

ダンサー・振付家


雑貨屋さんになる前にちょっと踊ってます。

川村さんは高校の時、ストリートダンスをきっかけにダンスを始めました。大学時代のダンス活動は異色なもので、卒業してからも様々な場所で活躍し続けています。
<2013.01収録>

最近、どんなことをやってる?

この前、新宿西口に「17歳で学校辞めて沖縄から来ました!」って、尾崎豊の「15の夜」を歌っている少年がいて、一所懸命歌っているのに誰も聴いてないので、友だちと一緒に後ろで踊ってみました。踊るとずいぶん人が立ち止まってくれるんですよ。少年は最初どうして人が集まってくるのかわからず、そのうち勝手に踊っている私達に気づいて「なんだろー?」みたいに見るんですけど、途中で演奏を止めるわけにもいかないし...。最近は、ストリートミュージシャンのバックで突然踊りだすというのが面白くてやっています。

10月に「ダンス・トリエンナーレ・トーキョー2012」で踊りましたね?

主催劇場のプロデューサーの方に「この日空いてる?」って訊かれて、「あ、ハイ。」って軽く答えたら、後でなんかすごいものだと知って...。「ジャパンフォーカス」という日本のダンサーのくくりで4組選ばれて、私はその中で踊りました。踊ったのは、2月に横浜の赤レンガ倉庫で踊ったものの再演です。

あの作品はどういう風にできたの?

最初に音を作って、次に振りを作って、最後にあかりのタイミングを作りました。音はありものを編集したり、お葬式のお経を録音したり、町で政治家が演説している横でノートパソコンを向けて「すみません。」って録音したり(笑)。

グリッド状の照明と連動した動きが印象的でした。

あの四角いのは、最初にイメージがあったんです。エクセルで表をつくって進行を決めておいて、照明さんにこういう感じってお願いして、あとは実際に踊りながらタイミングを合わせていきました。

舞台にキューピーが置いてあったのは?

あれはユザワヤで見つけて衝動買いしたんです。実家がおもちゃ工場だったので、小さい頃、家には貰い物の人形やオモチャがたくさんありました。バブルのあおりで小学校に入る頃には工場はつぶれちゃったのですが、家の中には人形の残骸がたくさん残っていました。私、友達が少ないので人形が友達なんです(笑)。
レース編みが大好きで、高校は被服科に通っていました。ロココ時代やルネッサンス時代のことや、ポリエステルとか綿とか繊維の勉強をしていました。でもファッションを仕事にすることは考えませんでした。仲間とチームを組んでストリートダンスを踊り始め、当時はダンスという別にやりたいことがあったから。

ニチジョには?

ダンスを始めてたった3年でニチジョはムリと思いましたが、試しにAOで受けてみました。グループディスカッションでビデオを見て、色んな作品の名前をその場で一生懸命覚えました。実技の格好がレオタードって決まっていて、みんなは可愛いピンクのフリル付きレオタードとかなのに、私だけ黒いスクール水着のようなレオタードで恥ずかしかった...。今考えると、どうして受かったんでしょう?

大学に入って?

友達もいなくて、2年間はなかなかなじめませんでしたが、授業は受けていました。クラシックの実技は全部取りました。教室の端から端までステップを踏んでタッタカタッタカ行くやつがあるんですけど、私は全然できなくてずっと走ってって、先生に「足掻いてるみたいだぞ。」って言われました。
夜はいつもクラブで踊っていて、新宿あたりの色んなクラブでGARAGARA GO!!とか踊っていました。あの頃はほんとうにクラブが盛り上がっていました。当時アニメーションダンスが流行っていて、あれって一見難しそうに見えるけど実は誰にでもできるし、簡単に「すごい。」って思われるんですよ。深夜番組の影響もあって、クラブでもアニメーションダンサーをゲストに迎えたイベントをよくやっていました。

アニメーションダンスってどんなの?

正確に言うと、ストリート系のポップダンスというジャンルの中のアニメーションスタイルらしいんですけど。まあ簡単に言うと、うどんがあってそこに半熟タマゴを割った瞬間みたいな感じです。タマゴ割るまでは普通のうどんだったのに、割った瞬間はおいしそうでしょ。
アニメーションは、日本で異常に発展したジャンルだと思います。もううどんにタマゴ5個くらいかけてあるような完全に独自なものとして、クラブの世界でブレークしていきました。

海外でもこれから注目されていくんじゃない?

どうなんでしょう?アニメーションでコンテポラリーの波に乗ろうとしている人は結構いるんですけど、クラブのイメージが強すぎるのかいまいち良く受け取られていないようです。風俗営業法の取締が厳しくなったこともあり、今はクラブはもうノーダンスみたいな感じで、私もクラブでは全然踊ってないですね。
クラブで知り合った友達の紹介でホテルの宴会場で踊るようになりました。企業の接待とか忘年会とかパーティ―の時に踊るんです。1回踊ってギャラはだいたい2万円くらい。楽しいので、それは今も時々やってます。

どんなダンスを踊るの?

ちょっと人にはお見せできないような格好で「崖の上のポニョ」を踊ったり、「まるまるもりもり」をやったり(笑)。最近は、その後に私の作った歌を4曲どうぞっていう感じでやっています。企業の方は許容範囲が広いのか、「感動した!」って言ってくれる方もいます。

大学時代はダンス・プロデュース研究部にも入っていましたね?

2年生の終わり頃に入りました。入ると友達もできて、みんなでワーって盛り上がったりして楽しかった。でも卒業するとあんまり話が合わなくなっちゃって、最近は大学時代の友達とはあまり会えていないので寂しいです。

大学ではどんなダンスを?

みんなに振り付けたり、ショーケースに出たりしていました。韓国には3回行きました。最初は松山先生のカンパニーが一緒に連れて行ってくれて、オムニバス作品の中のソロで踊りました。2回目は、私を何かの公演で見た韓国芸術総合学校の校長先生に呼んでいただきました。3回目は、その時に出会った「ソウル国際ダンスフェスティバル」の責任者に出演の機会をいただきました。
3年生の時、アーティスティック・ムーブメントin富山で賞をいただき、その作品をちょっと長くして座・高円寺ダンスアワードでみんなで再演しました。4年生の時、全国中学校・高等学校ダンスコンクールのエキシビジョンで、有志十何人で踊ることになり、みんなで喋っているうちに「型にはまった学校ダンスなんかやってても意味ないよね。」っていう話になりました。
それでエキシビジョンでソロで踊り始める時、その勢いで私はマイクを握って観客に向かって「まじめにダンスなんかやっていてもしょうがないんだよー!」と叫びました。先生には後で「夢を持っている中学生や高校生達になんていうことを言うの!」とすごく怒られて、始末書を書きました。あの時は何故か「本当のことを言わないと何も始まらない。」と思ったんです。強豪高校のダンス部の子達が、私の叫んだことについて話し合ったと聞いた時はちょっと嬉しかった...。
卒業公演では研究室毎に発表する作品で振り付けました。他に有志作品に出て、ポリバケツを鉄パイプでぶっ壊すというのをやり、舞台の床に穴をあけてしまいました。再び始末書を書き、学生時代はいつもそんな感じで「卒業できないかも。」と思っていました。

何故ポリバケツをぶっ壊したの?

作品を踊るというより、「卒業公演でポリバケツを壊すヤツがいた。」という事実を残したかったのかな...。あの頃は「踊るってどういう意味なんだろう?」って思っていたんです。ひょっとしたらポリバケツよりも社会の仕組みをぶっ壊したかったのかも知れません。そんなことやってもしょうがないと思うんですけど...。
自己顕示欲だろと言われるかもしれません。あまりそういうのを出すと嫌われるので、出さないようにいつも謙虚になろうとしているんですけど...。

大学に入って得たものは何だと思いますか?

踊るための色々なテクニックを学べました。それはすごく感謝しています。でもそのテクニックをどう活かせばいいのかわからなかった。ダンスで生きてく方法が見つからなかった。

ダンスで生きていく処世術ですか?

そうです。うまいギャラの請求の仕方とか、請求書の書き方とか、確定申告の仕方とか...。プロのダンサーとしてどうやっていけばいいのか、それは誰も教えてくれないし、あの頃の私は息が詰まっているようで、ずっと死ぬことばかりを考えていました。

卒業してからは?

世界が広がってきました。色んな人にも恵まれて、大学の頃より気持ちが全然楽になりました。大人の人と話すと、何か生まれる感じがして楽しいです。

自分のダンスはコンテンポラリーダンスだと思いますか?

なんなんですかねー?コンテポラリーという場所を、優しい人達に与えてもらってる気がします(笑)。「今ここでやっていいんだよ。」って。だから他のコンテポラリーダンサーの人と話すと、全然話が噛み合ないんです。

神楽坂die pratzeで踊った時は、私的なイメージがたくさんありました。個人の寝起きの夢をオムニバスで見ているような感じというか。

人の夢って、世界で一番どうでもいい話らしいですね(笑)。

場所によってダンスを踊り分けたりしますか?

場所とか需要に合うことをしている感じは確かにあります。「今これをここでやっても。」とかはすごい考えます。「今、ここでこれをやる」ことによって、「これからの私という存在がどういう認識をされるのか?」とか...。

踊りのイメージは自然に湧いてくるの?

あ、はい。よくどうやってできたか訊かれるんですけど、そんなに整理して考えてないし、自然にそうなったとしか言えないんです。

踊るためのモチベーションはどこから湧いてくるの?

モチベーションには限界がありますね。例えば私が何かを踊り、観客の方に「あー、川村良かったね。」って言ってもらえる、それはすごく有り難いことなんですけど、「それでいいのか?」と思ってしまうんです。おまけに最近はダンスがちょっと間に合ってなくて、ダンスで呼ばれて歌を歌ったり。これって逃げなんでしょうか?

今まではダンスが先にあって、たまたまそれを発表する場があったけど、最近はスケジュールが先にあって次の場所が決められていて、そのためにダンスを作っているでしょ?

ダンスで生きてくって、きっとそういうことなんですよね。でも、お金を払えばいいものを見られると思い込んでる人達が多すぎると思うんです。そんなことを言うとなんか偉そうですが...。

ギャラはいくらぐらいもらえますか?

舞台によって違いますが、だいたい1ステージ5万円ほどです。子供たちを踊らせるパフォーマンスをやった時は、ワークショップ込みで10万円ほどでした。

ギャラは自分のダンスの値段でもあるし、嫌なこととの引き換えという意味もあるかも(笑)。

昨日、あるところでギャラをいただいたんですけど、ポケットに入れておいたら帰りに落としちゃったんです。「あー」と思って、夕飯抜きました。

今、「自分はダンサーです。」って自信を持って言えますか?

今は、必要な時以外は「自分はダンサーです。」とは言ってないですね。ダンスでもっとお金を稼げればいいんですけど。ほんとはダンスでお金を稼いで、歌を歌うのがいいんだけどな...。

ダンス以外の仕事はしてますか?

エキストラの事務所に所属していて、電話が掛かるとCMとかPVの現場に派遣されるのをやっています。色んな人がいますよ。撮影現場って、待ちの時間が長いじゃないですか。みんな寝ちゃうんですよ。そうなると、空気がどよーんとしていい演技ができないので、友達と一緒にパフォーマンスして場を盛り上げています。

将来はどうなりたいですか?

将来はなんかこうなるだろうみたいな予感、ありませんか?私の場合は、雑貨屋さんなんです。今はダンスをやっているけど、このまま歩いて行くときっとぶつかるだろうみたいな...。今はそこをよけてダンスをやっている感じです。
でも将来なんて、ホントは全然想像がつきません。渋谷のビルボードに、ダンサーの川村美紀子がでかでかのったら興奮するかな?

これからの予定は?

トリエンナーレが終わってから、お世話になっている劇場のプロデューサーの方達が、「これからの私について」の会議を開いてくれたんです。私は「将来的には雑貨屋さんになる。」って言ったんですけど、「それは分かったから、近々のことを決めよう。」って。
私はメールひとつ打つのに、「よいでしょうか」「よろしいでしょうか」「いけませんでしょうか」とか、色々考えてしまってそういうことがあまりできないんです。で、「スケジュールとか、いろいろやってくれる人はどう?」って言われて、来年から制作兼マネージメントの人が付いてくれることになりました。
それで来年と再来年のプランを立ててくれて、助成金の関係もあるんですけど、うまくいけば全部いけるし、うまくいかなかったら全部いけないっていう、仮のスケジュールがあって。それによると来年は、半分くらい海外に行くことになってて。再来年に行われるパリの大きなコンテストのフェスティバルに出るのを目標に頑張る事にしました。
でもその途端に、びっくりするくらいダンスへのモチベーションが下がってしまって、歌を歌いたくなるんです(笑)。

今度フィンランドに行くんだって?

フィンランドの振付家兼フェスティバルのプロデューサーが私のダンスを見てくれて、赤レンガ倉庫を通してフィンランドに招待していただきました。1月に行って、向こうでフィンランド人ダンサーと一緒に作品を作り、2月に横浜で再演する予定です。オーロラが見えるか楽しみです。
小学校から高校くらいまで習字をやっていて、この間、松澤先生に卒業アルバムに載せる言葉をたのまれて書いて送りました。

なんて書いたの?

「悪戦苦闘」(笑)