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仕事だけじゃない、充実した生活を目指して -デュアルな生き方のススメ- Recommendation for a DUAL lifestyle

須黒 祥子さん

東京都立江戸川高等学校 副校長 日本バスケットボール連盟(JBA)公認S級審判員 元国際バスケットボール連盟(FIBA)公認国際審判員


今回お招きしたのは、東京都立江戸川高校の副校長を務めながら、男子プロバスケットボールの「B.LEAGUE」2017-18シーズンにおける審判員、バスケットボール女子日本リーグ「W LEAGUE」でも審判員を務められている須黒祥子さんです。高校教員となって部活動の指導もする一方で、33歳のときには日本人女性で初めて国際バスケットボール連盟(FIBA)公認の国際審判員となり、オリンピックでも審判員を務めた須黒さんが、どのような思いで「教員」「指導者」「審判員」を続けてきたのかについてお聞きしました。スポーツ科学科の大塚雅一教授が司会進行を務めました。
<2023.11収録>

女性審判員の道を切り拓いたのはニチジョの卒業生

【大塚先生】

須黒先生は日本体育大学在学中に、母校である都立九段高等学校(現千代田区立九段中等教育学校)のバスケットボール部でコーチ経験を積み、大学卒業後非常勤講師を4年間務めた後、教員採用試験に合格、3つの都立高校で教員を務め、その間、早稲田大学の大学院で修士課程を修了しました。また、2003年に日本で初めて女性の国際審判員となり、2004年のアテネオリンピックと2012年のロンドンオリンピックでも審判員としてコートに立ちました。それでは須黒先生、よろしくお願いいたします。

【須黒さん】

みなさんこんにちは。私は大学卒業後に高校教員とバスケットボールの審判員となり、赴任先の高校ではバスケットボール部の顧問も務めてきました。ウィキペディアには「2000年に国内女性初のA級」と書いてありますが、実際には女性初のJBA(日本バスケットボール協会)公認A級審判員は私ではありません。正確にはみなさんの先輩、日本女子体育大学の卒業生である2人が女性審判員の道を切り拓いたのです。そのうち1人は翌年、私とともに国内初のJBA公認AA級、現在のS級ライセンスも取得しました。

さらに私は2003年に国際審判員となり、オリンピックや世界選手権、ワールドカップといった国際大会でも笛を吹かせてもらいましたが、当初は自分がオリンピックで審判員をするなど考えておらず、コツコツと中高生や大学生の試合で審判をしていました。

そのような中、いま思うと、世界で活躍できるアジア人の女性審判員を増やそうと考えていたのではないかと思います。近年だと中東系やインド系の女性審判員が活躍の場を広げているように、当時の時勢というべき流れに乗れたのだと思います。

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女性16.9、男性13.3 この数字の意味は

さて、今日のテーマは「デュアルな生き方のススメ」です。みなさん、卒業後は就職されると思います。ただ、選手として競技を続けたいものの、働き始めたら練習時間がなくなり、大会に出られなくなるのではないかといった不安もあると思います。また、指導者としての活動に力を注いでいきたい方もいるでしょう。その点、トップレベルの競技者でしたら練習環境などは約束されていますが、中堅層は厳しい現実に直面しているのも事実。競技によっては"全日本"の選手でも、スーパーなどでレジ打ちのアルバイトをしているといった話を聞いたこともあると思います。もちろん自分で新たな生活スタイルを切り拓ければいいのですが、卒業後の生活がイメージできないというのが正直なところだと思います。今日はそんな不安を解消できればと思いますし、仕事はきちんとした上で、これまでの競技生活や大切な趣味などを続けていく方法を考えてもらうことが一番の目的です。

最初に考えてほしいのは"16.9"という数字の意味です。今日のテーマとも関係があり、単位は"%"。男性だと13.3%です。分かった人はいますか?正解は、仕事に就いた後に辞めてしまう女性の離職率で、2023年8月に厚生労働省が発表した「令和4年雇用動向調査」の結果です。男女間の差は3.6%ですので、そこまで違わないと感じるかもしれませんが、全体が1万人なら360人。1万人の社員がいる企業なら、それだけ女性の方が多く辞めていくということです。女子大の教室で考えると、1クラス40人で16.9%だと6人から7人が退学してしまう計算になります。決して少ないとは言えませんが、これが日本の現実です。仕事と家庭を両立させる難しさや、仕事で正当に評価されないことなど、女性が仕事を辞めてしまう理由はさまざまです。数年前には大学入試でも女子の受験生が不当に不合格にされたことが問題視されましたし、女性が生きづらい世の中であることは確かだと思います。それでも私は精一杯、「教員」「部活動の指導」「審判員」の3つに励んできました。

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何でも"そこそこできる"状態からの新たな一歩

そもそも私が教員採用試験に向けて一生懸命に勉強したのは、バスケットボールの指導者になりたかったからです。背景にあったのは中学時代の指導者との出会い。その先生に教わることで、多くのことができるようになる喜びを感じ、同じ経験を生徒たちにもしてほしいと思いました。また、高校時代の指導者がJBA公認B級の審判員資格を持っており、指導者を目指すなら審判員資格も役に立つと教わったことが、審判員の資格を取ったきっかけです。資格取得後はニチジョの試合も数多く担当させてもらいました。

こうして念願の教員となって赴任した2校目は、2つの都立高校の統廃合によってできた高校でした。新規開校に合わせて着任したため、バスケットボール部は部員集めからのスタート。1年目は選手4人とマネージャー1人だけでしたが、その5人で大会に出場したこともありました。その高校には7年間いて、最後は東京都でベスト16に入りました。

ただ、教員生活が10年ほど経過すると、自分は定年までこのまま何十年と同じ生活を続けていくだけなのかと考え、自問自答することが増えました。日々の授業から部活動での指導、審判活動まで、10年も経験を積めば何でも"そこそこ"できてしまいますが、"このままならこのまま"だと思ったのです。そこで、早稲田大学の大学院に進み、体育科教育やスポーツ心理学をもっと専門的に勉強しようと決意しました。

大学院での研究テーマは、バスケットボールを通じた空間認識や教育的効果です。というのも、バスケットボールの授業は、中学1年生も高校3年生もあまり違いがない点に問題意識を抱いていたのです。パス練習から始まり、ドリブルシュートの練習や、2対1や2対2などを経てゲームを行いますが、どんな学年でも内容が同じです。英語でも数学でも、中学1年生と高校3年生では大きな違いがあるように、バスケットボールの授業でも、高校生には高校生に合った内容が必要だと考えたのです。結果的にはスペースの使い方などを新たに加えて指導の幅を広げ、授業での実践につなげることができました。

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試合当日は分刻みのスケジュール

大学院を経て、教員として赴任した3校目は、伝統校で進学校でもある都立駒場高等学校です。偶然ですが大塚先生の母校でもあり、バスケットボール部は関東大会への出場実績もある高校です。私は既に国際審判員としても活動していましたが、部活動の指導もおろそかにできず、土日は練習試合や公式戦もありましたので、審判活動は現在に比べると抑え気味でした。それでも、審判員に必要なトレーニングは続けましたし、女子日本リーグの「Wリーグ」でも審判員をするなど、極めて多忙な日々を送りました。

時期は異なりますが、つい最近、2023年10月の"多忙さ"を紹介しますと、月曜日から金曜日までは都立江戸川高校の副校長としての仕事があり、土日は毎週Wリーグで審判業務がありました。担当する試合に向けては、対戦する2チームそれぞれの過去2試合分の映像をチェックするほか、一緒に担当をする2人の審判員がどのような特徴があるのかを把握するために、2人が担当した直近の試合も映像でチェックします。ですから、平日仕事をしながら多くのビデオチェックを進めなければいけないのです。

そこで私は、通勤時間などのすき間時間を有効活用し、学校に到着してからも8時の始業時刻までは映像をチェック。試合で動き続けるためにはコンディショニングも重要ですので、終業後はランニングのほか、自宅での自重トレーニングやチューブトレーニングなども行います。

さらに、試合当日は分刻みのスケジュールをこなします。試合開始の1時間以上前にコートに入り、ラインが消えていないか、リングが曲がっていないか、電光掲示板がきちんと点灯し、ホーンの音量は来場者の歓声があっても聞こえる大きさであるかなどを入念にチェックします。その後、ミーティングを経て再びコートに入ります。こうした審判員の1日を日本バスケットボール協会が動画にまとめ、YouTubeにアップされていますのでご覧ください。

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世界の舞台で痛感したアジア人差別

ここで、国際審判員としてのエピソードも紹介します。オリンピックは華やかですし、世界中から優秀な審判員が集まるように思われますが、とあるヨーロッパの国のヘッドコーチには、かなり"小言"を言われました。試合前はフレンドリーに接してくれたものの、「この人は私をコントロールしようとしている。完全に舐められている」と感じました。私が未熟だったせいかもしれませんが、「ここはアジアじゃないんだよ」とも言われましたし、バスケットボールに関してはアジア人審判員に対する差別の存在を痛感しました。

とはいえ、日本人にしても、もし相撲の審判員である"行司さん"が、多くの日本人とは肌の色や目の色、髪の毛の色が違う外国人だったらどう思うでしょうか。「本当に相撲を理解しているのか」と考える日本人は少なくないかもしれません。それと同様に私も「日本人なのにバスケットボールを知っているのか」と思われたのです。ですから、女子バスケットボールの日本代表が東京2020大会で銀メダルを獲得したときは本当にうれしかったですし、さまざまな競技で日本代表が世界で認められる結果を残していってくれることを願うばかりです。

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自分にとって大切なことを長く続けてほしい

これまでを振り返ると、私は「教員」「指導者」「審判員」の3つが"近い"からできていたと思える反面、これらを独立したものと考えて取り組んでいたら、"両立"は難しかったと思います。将来みなさんが仕事以外に競技や指導、審判活動などを続けていく場合も、それらをまったくの別物と捉えると大きな負担がかかると思います。

そこで提案したいのは、複数の活動をバラバラにして考えず、"近さ"や"つながり"を探すことです。考え方でも生活スタイルでも、どこかで何かをリンクさせることで、相互に役に立つ活動にしてほしいのです。そうでないと、本当は続けたいのに「この競技を続けていくと仕事がもたない」と生活のために泣く泣く競技から手を引いたり、「仕事をしていると競技ができない」と競技レベルを下げたりする選択肢を選んでしまいがちになりますよね。学生のうちは「勉強と競技」、卒業後は「仕事と競技」「家庭と競技」「仕事と家庭と競技」といったパターンがあると思いますが、相互にいい影響を与えられるようにすることで、自分がしたいことを長く続けられると思うのです。

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私の場合、審判員としては試合前のチェックや準備を入念に行い、両チームに対してはジャッジの方針などをしっかりと伝えます。試合開始後もその方針に沿って笛を吹けば、「なんでさっきはファールじゃなかったのに」といった選手の不満を生むこともなく、スムーズに試合を進められるのです。そして、この姿勢や行動スタイルは教員の実務にも役立ちます。授業前の準備もそうですし、特にクラス担任となった際には、まずは学級経営の方針をしっかりと生徒に伝えます。例えば「忘れ物をしたら取りに帰らせる」といった注意点を4月から5月にかけて口酸っぱく伝えることで、忘れ物は少なくなるのです。

もちろん、複数の活動を同時に進めていくと「とにかく時間がない」と痛感しますし、「全部できる自信がない」と思うときもあります。審判員をしているとレギュレーションや"流行"の戦術が毎年のように変わりますので、勉強し続けなくてはいけません。教員でも審判員でも、年数を重ねて経験を積めば、求められる内容や質も変わっていきますので、「あらゆることをしなくてはいけない」という思いも、重く強くのしかかってくるのです。

それでも自分がしたいことを続けていくためには、課題を整理することが大切だと思います。時間がないなら時間の有効活用方法を考え、新しいことにはどんな姿勢で取り組めばいいのかを一度整理して考えるのです。大変な状況に直面すると「あれはイヤ、これもイヤ」というネガティブな思考が先行しがちですが、ポジティブな解決方法を見つけるためにも、まずは冷静に課題を整理することから始めてみてください。

ただ、例えば私が時間を有効活用するとはいっても、決して無理はしません。睡眠時間を削って映像をチェックする審判員もいると聞きますが、それではコンディショニング面で新たな課題が生まれるため、私は睡眠時間を確保した上で、朝の通勤時間などを使うのです。また、「いま」必要なことなのか、「いまではなくてもいい」のか、「いまでなければ誰かに迷惑をかけてしまうのか」などを整理し、優先順位をつけて対処する習慣も大切でしょう。

新しいことに取り組む姿勢としては、私の場合、国際審判員をしていなかったら英会話にはチャレンジしなかったと思います。国際審判員になると、日本代表チームに帯同することもありますが、大会によっては、海外で一人で生活することもありますので、自然と英会話スキルを向上させたいというモチベーションも高まりました。

また、「昨日が良かったから昨日と同じで良い」とも考えませんし、周りの審判員がレベルアップしていく中で、自分が現状にとどまることは怖いのです。ですから映像チェックは欠かしませんし、新しいことも嫌がらずに前のめりで取り組み続ける力が大切で、それこそが私がこれまでの生活で身につけてきた力だと思っています。「教員」「指導者」「審判員」を続ける中で、一歩前に出ることを怖がらず、とにかく挑戦する姿勢が身につき、さらには向上していったのだと思います。

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デュアルな生き方が、私を大きく成長させてくれた

私が審判員をしているWリーグのファイナルは、全3戦で2勝すると優勝が決まります。第24回Wリーグとなった2022-2023シーズンのファイナルは1勝1敗で3戦目までもつれ、しかも3戦目は2度目の延長戦となる"ダブルオーバータイム"まで勝負が決まらない大激戦となりました。それでも選手たちは集中力を切らさずに熱戦を繰り広げ、試合後にはお互いを称え合う光景が見られました。私は審判員としてその場に立たせてもらえたことを心からありがたく感じました。試合では審判員同士もそうですし、選手やコーチとも初対面のケースがありますが、その誰もが好ゲームにするべく力を尽くします。加えて、熱心に声援を送る観客とも一体になりながら、審判員として一つのゲームをつくりあげていくことに、あらためてやりがいを感じました。

私が教員だけをしていたら、教員としても伸びていなかったと思います。そして、「教員」「指導者」「審判員」のすべてに通じる「チャレンジする気持ち」「信頼関係を築くこと」「責任を果たすこと」「人を育てること」といった信念も生まれてこなかったでしょう。ですからみなさんも、挑戦したいことはあきらめずに全部トライしてみてください。うまくいかなければ課題を整理して調整すればいいのですし、周囲がサポートしてくれることもありますので、意外とうまくいくものです。ぜひ大切なことを続けていけるデュアルな人生を歩んでほしいと思います。ご清聴ありがとうございました。

〈質疑応答〉

【学生A】

審判員として監督・コーチや選手とコミュニケーションを取るときの意識や注意点について教えてください。

【須黒さん】

コーチや選手が困っているならば、不満でも疑問でも、まずは相手が言いたいことを必ず聞きます。試合中の特定のプレーに関することでも、相手の言い分を聞いた上で、ルールブックにのっとって根拠を示して説明します。この意識は、教員として生徒や保護者と接する場面でも同じです。

【学生B】

生まれ育った文化や環境が異なる外国チームの選手やコーチとは、どうやって理解し合うのでしょうか。

【須黒さん】

文化の違いは実感しますので、そのギャップをうまくユーモアに変換しながらコミュニケーションを進めることもあります。なお、外国人は日本人の考え方に興味があるように感じますが、初対面では政治の話はしない方が無難です。ちなみに、ヨーロッパでは多くの男性がレディーファーストで、「ショウコ!ショウコ!」とみんなやさしく接してくれます。その分、日本に帰国するとがっかりします(笑)。

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【学生C】

卒業後は一般企業に就職しますが、バスケットボールの審判員として全国高等学校体育連盟(高体連)に所属したいと思っています。何かハードルはありますか。

【須黒さん】

連盟は仲間として受け入れてくれると思いますが、高体連で学校教員や部活動のコーチといった枠を飛び越えると思わぬ問題が生まれるかもしれませんので、例えば母校の高校のコーチとして登録する方法もいいと思います。

【学生D】

審判員として今まで一番大変だった試合を教えてください。

【須黒さん】

二度と味わいたくない経験をしたのは、AA級(現S級)審判員として初めて臨んだインターハイの準決勝です。会場が観客の熱気に包まれ、それだけでメンタル的に"引き気味"になってしまったばかりでなく、ペアになった審判員が何でもテキパキできる方で、「私なんかいなくてもいいんじゃないか」とさえ思ってしまいました。AA級にもかかわらず弱気で緊張もしてしまい、ジャンプボールの笛も吹けなかったほどです。心の底から悔しくて、後にも先にも唯一、試合後のロッカールームで泣いた試合です。ただ、これが転機となり、弱い気持ちでジャッジして後悔することがないよう強い気持ちで臨み、試合前の準備段階から思ったことは全部やろうと決意しました。

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【大塚先生】

須黒先生、どうもありがとうございました。これから社会人になるニチジョのみなさんにとって参考になるお話ばかりでした。ちなみに、私と須黒先生との付き合いは30年以上になり、須黒さんが通っていた高校に私が赴任したことが始まりです。この高校では当時から先進的な取り組みとしてグループワークを行っていて、各自がまとめたノートを教員が10点満点で採点するのですが、須黒さんは「なぜ自分は10点じゃないのか?」と教員に迫るわけです。その後、10点を取れるまで努力しますし、知的好奇心と向上心がとても旺盛な生徒でした。大学生になると、学業の傍ら母校のバスケットボール部でコーチをして、夏の遠泳行事や冬のスキー教室など、学校行事の手伝いもしてくれました。今後はさらに活躍をされていくと思いますので、ぜひ教育界でも旋風を巻き起こしてほしいと思います。

須黒先生、本日はどうもありがとうございました。

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