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自分にしかできない仕事をつくる

尾形 直子さん

整体師・ヨガインストラクター・ダンサー


本日のお客さまは、OGの尾形直子さんです。尾形さんは2004年に舞踊学専攻を卒業後、女子校の非常勤講師の傍ら、ダンサーとして国内外の様々な公演に参加しました。その後、整体の技術を身につけ、整体師として経験を積んだ後、インドで初の日本人による整体サロンの運営に関わりました。さらにインドでヨガの修行を積 み、ベルギーのダンスカンパニーでフィジオセラピストとしても活躍。帰国した現在は整体師、ヨガインストラクター、ダンサーとして、様々な方面で活動しています。今日は、そういう仕事のスタイルを取るようになった経緯や、自分で新しい仕事を作り出すということについても考えてみたいと思います。
<2016.10収録>

こんにちは。このカフェに出るとなった時、「肩書き、どうしますか?」って訊かれて、「肩書きはナシで。」とお願いしたんですが、ホントに今、肩書きはないなと思って。で今、どうやって生活しているかと言うと、主な収入源は整体です。その次に多いのがヨガの指導。あと、ダンスのワークショップをやったり。あと週3日だけ、大学で事務のアルバイトもしています。

卒業して3足のわらじを履く

小学校の時ミュージカルに連れていってもらって、無性に踊りたくなりました。母がピアノ教師だったので、私も小さいときからピアノを習っていて、高校からは音大の附属高校に進みました。でも、どうしても踊りがやりたくて、高校に入ってからジャズダンスを習い始めました。そして、当時は舞踊学専攻がここにしかなかったニチジョへ行こうと思いました。

でもダンス歴がたったの2年では絶対に入れないと思ったので、色々調べて作戦を立て、当時、二階堂高校でやっていた金井芙三枝舞踊団の教室に入れさせていただきました。みんな3歳くらいから踊っている中に私も混じって踊り、そこで先生に顔を覚えてもらって、推薦でなんとかニチジョに入ることができました。でも私が音大の推薦を蹴って体育大に入ってしまったので、母との間には決定的な亀裂が入りました。

大学に入って色々な刺激を受けていきました。その中で、「ローザス」と言うベルギーのダンスカンパニーを知って、コンテンポラリーダンスに目覚めました。来日公演を観に行って、作品のレパートリーを研究したり、実際にその振り付けで踊ったりしていました。コンテンポラリーはジャズダンスやクラシックバレエと違って自分の感覚に正直というか、「こういう世界もあるんだ。」と思ってダンス観が一変しました。

母のこともあって、卒業後はちゃんと就職しようと思い、東京ディズニーリゾートのオーディションを受けていたのですが、お給料や保障について迷っていました。4年生の12月くらいに南館の掲示板で、ある私立の女子校がダンスができて球技ができる講師を募集していると知り、私は教職も取っていたし中学の時はバレー部だったので、「これは呼ばれてるな!」と思い、応募したら案の定採用していただきました。

それで卒業後は、女子校の非常勤講師として週12コマ教えることになりました。講師なので授業がない時は自由なんですよ。それで「CO.山田うん」というダンスカンパニーのオーディションを受けて、100人くらいの中から4人、私も選ばれました。それが2004年なのでもう12年前になりますね。それからはダンスと講師の2足のわらじで、バイトもしていたので3足か。午前中はアルバイトをして、午後から授業をやって、夜にダンスのリハーサルといった生活を送っていました。

【出席者A】そういう生活は、大変じゃなかったですか?

人のエネルギーって限られていると思うんですけど、好きなことにはエネルギーは無限なんですよ。もちろん休息は必要ですよ。これはヨガにもつながるんですけど、時間の感覚がなくなったりお金の感覚がなくなったり、そうやって制約がなくなればなくなるほど、自分の身体を包んでいるものがはがれていって、エネルギーが泉のように湧いてくるんです。できないと思うのは、自分がどこかで制約しているからです。時間がないとかね。でも時間はみんなに平等にあるし、時間の使い方だと思うんです。

【出席者C】でもそれは、フリーランスだからできることでしょ?

そうかも知れないですね。逆にフリーランスだから「よけいに制約を取っ払わなきゃ」と思いました。ただ、来たものを全部入れずに受け流したり、逆に選択をしてもそこに執着をしないことが大事だと思います。いいと思って取り入れたものでも、ずっと取っておかずに全部流しちゃうんです。

整体師になる

そのうちダンスの方が忙しくなってきて、ツアーで3週間スペインに行ったりしなくてはならなくなり、さすがにそんなに学校を休めないので、5年やっていた非常勤講師を辞めました。

【出席者B】自分のコアになる収入がないと不安じゃないですか?

それはありました。それで整体の学校に1年間通って、整体の資格を取りました。国家資格ではなく、学校の単位を取ればもらえる民間の資格です。

【出席者C】なぜ整体だったの?

昔から身体のことが好きだったし、小さい時から「人はどこから来たのか?」ということにも興味があって、「身体の中の小宇宙とかヒーリングの勉強をしたい」と思っていたんです。ただ整体の学校で学ぶことはほんとに基本的なことだけなので、あとは実践で自分の手技を増やしていくしかありません。それでダンス活動と平行して、リラクゼーションサロンで働いていました。

【出席者E】僕もこのあいだ尾形さんの整体を受けたけど、すごく良かったですよ。

身体はもともと自己調整能力を持っているので、ただ触れるだけで整っていきます。逆にこっちの念が強かったりすると、身体が抵抗して受け入れなくなっちゃうんですよ。人によっても違って、最初は身構えている人もいれば、話しているうちにどんどんほぐれていってくれる人、様々です。

【出席者B】整体って相性がありますよね。

その人が持っているものや、今日どうしたいっていうことを察知しなければならないので、整体もひとつのコミュニケーションだと思うんです。だから会話だけでも整体になります。私はだいたい、最初に足を見てどういう流れでやるか決めています。

【出席者D】足を見ただけで身体の状態がわかるんですか?

足の裏に「反射区」って言うのがあって、そこを押した時の張り具合や温度とかで、だいたい全身の状態がわかります。例えばタバコ吸っている人は、肺が疲れている場合が多いんですけど、指がちょっとそっていたり少し緊張があったり。「反射区」って人の形をしてるんですね。親指が頭、子指球が肩、その下が腕、母子球の下が胃、かかとの上が腸というように、身体のいろんなところとつながっています。

インドに呼ばれる

1年ほどリラクゼーションサロンで働いていて、ある人から「ある日本企業がインドのホテルで、日本人出張者向けのサービスで整体サロンをやることになったので、そこの運営をしないか」という話があって、私はその話を受けることにしました。

【出席者A】インドに行くのに戸惑いはなかったですか?

普通に生活してたら、そういう話って絶対ないじゃないですか。それが自分に来ること自体、「きっと私、インドに呼ばれているな」と思ったんです。もっともあまり深く考えずに行ったので、後でちょっと後悔しましたが。私はてっきり「日本企業に就職してそこからお給料をいただけるんだ」と思っていたら、現地にはペーパーカンパニーしかなくて、誰とも契約できなかったんです。日本人は全員出張に来ている人で、インドに駐在している人は一人もいませんでした。

毎月、インド人の支配人からルピーの札束を渡されて、「これで生活をして」という状態でした。それでもお店は順調だったので良かったんですが、もし自分が離れた時に後任の人も困るので、ホテル側と契約の交渉をしました。10カ月くらいかかってやっと契約書を作って、お給料もちょっと良くしてもらって、「これで安心して後任に任せられる」と思いました。

【出席者B】インドの生活にはすぐ慣れましたか?

向こうは、オートリキシャっていう3輪自動車で移動するんですよ。乗る前に価格交渉するんですが、決まってふっかけられるので、そういうやりとりがすごい疲れました。道路は舗装されてなくて、どこに穴があいているかわかりません。雨が降ったらすぐに川みたいになって、その中を牛が歩いていたり。

私は向こうの水があわなくて、6カ月間ずっとお腹を下していました。救急で病院に行ったりもして、「もう限界だ」というところまで行った時に、うんさんのカンパニーでやっていたアシュタンガヨガをやってみたんです。そしたらみるみる元気になっていって、ちょっとびっくりしました。

【出席者D】アシュタンガヨガって何ですか?

フォアベンディングやバックベンディングの動きを続けながら、いろいろなポーズを発展させて90分ずっと動き続けているような、けっこう激しいトレーニング系のヨガです。それをやって元気になったので、「せっかくインドにいるんだから、もっとちゃんとヨガを勉強しよう」と思いました。整体サロンは2年間運営して、契約書も作って、なんか「やりきった感」がしたので、北インドにヨガの修行をしに行くことにしました。

【出席者A】生活のこととかは考えなかったんですか?

インドで生活している分には全くお金を使わないので。遊ぶ場所もないし、そもそも娯楽がないんですよ。整体でお金もけっこう貯まっていたので、そこはもう迷いなく仕事を辞められました。

インドでヨガの修行をする

ヨガの聖地、北インドのリシケシュというところで、1カ月間、アシュラムというヨガ道場に入りました。授業料はご飯も全部込みで、生徒は20人くらいいたかな。毎朝6時から瞑想して、8時からアーサナ(いわゆるヨガの動き)、その後10時から軽い朝食を食べて、その後ヨガ哲学を学ぶという感じで、夜7時まで修行が続きました。

たばこやお酒はもちろんカフェインもだめで、断食もしました。体内濃度に近い塩水にちょっとレモンを入れて飲みやすくしたものを2リットルくらい飲んで、便が水になって透明になるまで体内浄化するんです。腸って、脳と同じホルモンが出ているらしく、腸内環境が整えば幸せなホルモンもでるし、頭がストレスで一杯になっちゃうとお腹が緊張して下痢になったりします。

【出席者B】良くカレー食べるとホルモン出るって言いますよね。

そうなんですか?インド人は3食全部カレーだから、私も食べていました。断食したり、腸内洗浄したり、1カ月間いろいろなことをやって、その感覚は言葉では説明しづらいんですけど、もうなんかバァーッって光がさす感じと言うか、一度それを味わうとちょっと忘れられないです。

【出席者C】インドに行って人生観が変わった?

それをきっかけに仕事を辞める人とかも多かったみたいですね。私は肉を食べなくなりました。それまでは普通に食べていたんですけど。肉を買いに行くと、今そこで生きている鶏を殺さないといけないので、「そこまでして肉を食べたい?」「いや、この命はちょっといただけません」みたいになって。

今でも肉はあまり好んで食べないですね。食べないほうが身体も軽いし頭もすっきりします。でも踊る時とか作品を作る時は、なんか闘争心がわくような気がしてお肉を食べたくなります。

父の死で帰国。再びインド

父が危篤になったので、急遽日本に戻りました。父の死による喪失感はもちろんありましたが、私は2年間インドでヨガ的な生活をしていたので、死を悲しむというよりはすんなり受け入れられた気がします。向こうでは生と死は隣り合わせで、神様は友達のような存在で、皆祈っていました。

日本に5カ月間いて、知り合いに整体の施術をしたりしました。ヨガを学んだ後のすっきりした感じが続いていて、「このまま身体の中の空気をきれいにしておけば、きっといいのものが入ってくるだろう」そんな気がしていました。能の役者さんと一緒にお仕事をする機会があって、「ヨガを教えて欲しい」ということでヨガのレッスンもしました。今もそれは続けています。

ちょうどその頃、山田うんさんが、北京でソロ公演をやることになって、私は「身体のケアでも裏方でも何でもやります」と言って、中国まで付いて行ったんです。うんさんも「ダンサーのケアをする人がいたらいいよね」と言ってくれて。その後、私は「ヨガをもうちょっと深めたい」と思って、またインドに行き、ダラムサラというところで修行しました。

そうしたら、今度はうんさんが、ベルギーのローザスのスタジオで池田扶美代さんとのデュオの作品を作るというので、「私も行かないわけにはいかない」と言う勝手な思い込みだけで、インドで施術して貯めたお金を飛行機代に、ベルギーに飛びました。

ベルギーでフィジオセラピストになる

3カ月間ベルギーにいたのですが、途中でお金がなくなりそうになって、ブリュッセルでも整体を始めました。そうしたら人づてにだんだん広がっていって、忙しくなっていきました。

最初はただ付いていきたいという気持ちだけだったんだけど、毎日スタジオに行ってリハーサルを観ているうちに、ダンサーの身体のケアとか、バランスを見るためにダンサーの代わりに舞台に立ったり、作品のアドバイスをしたり、私ができることも多かったので、最終的には制作会社からお給料までいただけたんです。

同時期にローザスカンパニーも新作を作っていました。アンヌテレサは新作のことで頭がいっぱいで、見るからに憔悴していました。そこで、私が施術させてもらえることになりました。私がコンテンポラリーダンスに目覚めるきっかけを作ってくれた、私にとって神様のような存在に施術ができるなんて夢のようでした。

その後、アンヌテレサのお家に呼んでいただいて、再び施術をしました。その時に、彼女から「来年のエキシビジョンにあなたを呼びたいんだけど、どうしたらいい?」と言われました。それで、ローザスと交渉して、2カ月間、フィジオセラピストとして仕事をさせていただくことになったんです。

別に、最初からそこを目指していたわけじゃないんですよ。これは全部つながっているんです。私は何も目標がなくて、最初はただ「踊りたい」っていうその原動力だけで、好きなものをただワクワクしながら続けていったら、そういう道ができていった。

【出席者B】一見不安定なように見えて、いちばん確実なキャリアプランかもしれないですね。

私は人脈もあまりないし、切り離さないように必死にならないって言うか、離れることも縁だと思っているんです。いいものが入って来たときに、それを取っておくんじゃなくて執着しない。

人には、できないことがたくさんあります。自分ができなくても、ちゃんと自分の周りにできる人がいるので、その人にやってもらえばいいんです。できないのに「やらなきゃいけない」って思わない。苦手なことは苦手なので、得意な人にお願いします。自分の得意なことだと全然嫌じゃないし時間もかからないから。

【出席者E】でも学生には「ちゃんと就職しなくちゃ」と考える人もいます。そういう人に対してはどうアドバイスをしますか?

私は、「卒業してすぐに就職しなくていい」と思うんですよね。日本くらいじゃないですか。新卒ということをこんなに特別視しているのは。

【出席者D】たぶん舞踊学専攻の3期くらいまでの人たちは、あなたみたいなユニークな生き方をしている人たちが多いと思います。それは型にはまった生き方じゃなくて、自分の器を保ちながらそこに何が入ってくるか待ち構えて、それで自分の役割を決めていくような生き方というか。そのころの舞踊専攻の人たちはあまり就活をしてなかったし、まともな就職をしていない人も多いんですね。それが幸か不幸か、これからの時代の生き方にマッチしてきたのじゃないかと思います。

【出席者B】今まさに政府が奨励しているのが、そういう生き方ですよね。

【出席者D】じゃ、先取りしていたのかな。ステレオタイプな生き方より、そのほうがこれからは強いのかも。

【出席者B】失うものがないですもんね。

ないですね。何にも。インドに行ったときも、ベルギーに行った時も、「ああ、お金ないなあ」って思っても、「あ、じゃあ施術しよう」みたいな。そのときに返ってくるのは、必ずしもお金じゃないんですよ。「なんとかしてあげたい」って思ってさわってあげると、お金をいただくこともあれば、お金がない人でも、果物だったり、モノとして返ってきたりするんですね。私はそれで満足なんです。

【出席者C】でもおれはそれじゃ満足しないよ。老後は金だ(笑)。

老後はね...。でも頭の中で考えることは過去か未来のことだけで、今できるのは自分の身体を動かすことしかないですから、今将来のことを考えて心配してもしょうがないですよ。

【出席者E】今日はこんなのでいいのでしょうか。だって「キャリア・カフェ」でしょ。

【出席者B】キャリアじゃなくて「生き方カフェ」でいいんですよ。

日本に帰ってきてからは、施術とヨガとダンスのワークショップをやっています。ここ1年半くらい、ずっと同じような生活をしているんですけど、「もう身体の中に、整体もヨガもダンスもしみ込んじゃったな」と思うんですよ。だからお金のためにやるのはやめようと思っていて。

今は、自給自足の生活にすごくあこがれていて。小さいときから自然の中にいたっていうのもあるんですけど、いずれは自分で生きる力をもっとつけていきたいなと思っています。私、あんまりキャリアを得るって考えたことなくて、仕事が後からついてきたというか、「きっとまたおもしろいことがおこるだろう」って思っています。最近やっと、自分の作品を作るようになりました。今までは、何を作りたいのか良くわからなかったけど、最近やっとそれがちょっと明確になってきたので。

【出席者C】尾形さんにとっての仕事は、結局のところ何なんですか?

なんだろうな。今、大学で事務のアルバイトをしているんですけど、それが一番仕事っぽいですね。言葉が悪いですけど「我慢料」って言うんですか。

【出席者E】哲学者のハンナ・アーレントという人がいるんですが、彼女は人間の営みを「仕事」と「労働」と「活動」に分けていて、生活のためのものは労働。尾形さんのは労働じゃなくて、仕事とか活動に関係しているんですね。

たしかに今は、アルバイトがいちばんの労働ですね。他は自分で自分の時間を作れるので。施術の予約時間とか、予約から予約までの時間は自分の時間だし。人と関わっているより、自分と向かい合っている時間のほうが長いんです。あんまり欲もないし、買い物にもいかない。誰かに呼んでもらったら、出かけるみたいな。

【出席者B】それは女性ならではですよね。男性はこうならないですよ。男性はまず「箱」を作りますからね。女性は頼まれたら身一つでどこにでもいくけど、男性はまず事務所とか借りちゃいます。箱を作って、自ら労働っぽく落とし込んでいく。女性はわりとそのままでいく人が多いですよ。つぶれようにもつぶれるような形がないからつぶれない。男性は見込みで投資しちゃうんです。

【出席者C】耳が痛いですね(笑)。

【出席者A】自分の価値観が変わるというか、職業に対する考え方も、キャリアに対しても、私が思っていたものと全然違うので、正直まだ消化できていないです。ただ、こういう考え方もあるんだなって新鮮に感じました。いちばん驚いたのが目標がなくて、好きという原動力で進んでいくっていうことです。それがすごい驚きで、自分は今スポーツやって行く中で目標を立ててやっているんですけど、それがなくて、ただ原動力で動いているのがすごいっていうか。それでいろんな仕事や道を切り開いていったことがいちばんすごいと感じました。自分は今、競歩をやっていて、この大会に出たいとかタイムというより、歩きを極めたいんです。美しく早く歩くという目標があります。

美しく歩きたいっていうのは、目標というより原動力だよね。それもヨガにつながります。ヨガって、ポーズじゃなくて考え方なんですよ。正しく考えるとか、嘘つかないとか、現状に満足することだったり、すごくシンプルな考え方を、自問自答するんです。

自分の芯をしっかり持つためには、周りの情報にあんまり惑わされないことです。今はネットで調べたらなんでも出てくるし、ただ見ているだけで情報が入ってくるじゃないですか、それが混乱のもとになったりします。テレビはどのチャンネルも言っていることがだいたい同じだし、他人の意見に乗っかっているだけのことが多いような気がして。

私がたまにやるのが、自問自答を紙に書くんです。質問するのも自分だし、答えるもの自分。例えば、今自分が何がやりたいのかまず書いて、例えば美しく歩きたい、そのためには今何をしたらいい?その自分の答えに対して自分でまた質問をしていくと、すごい掘り下がっていって、何をやるべきか明確になってきます。文字にすることで、もう一人の自分と会話をしているような感じです。悩みも葛藤も全部書くんですよ。

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