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学生時代から俳優としての歩みを振り返って

片桐 はいりさん

俳優


本日のお客さまは、俳優の片桐はいりさんです。大学在学中に劇団に入団し、舞台、映画、ドラマなどで幅広く活躍されています。最近の主な出演作品は、ドラマ『富士ファミリー』(NHK)『とと姉ちゃん』(NHK)、『あまちゃん』(NHK)、映画『シン・ゴジラ』(庵野秀明・樋口真嗣監督)、『沈黙・サイレンス』(マーティン・スコセッシ監督)など。大学卒業後、どうして俳優の道に進むことを選ばれたのか、自身のキャリア選択上の悩みや葛藤、学生時代から今までのご経験をお話いただきました。
<2017.12収録>

片桐はいりと申します。ダンスをよく見に行っている関係でニチジョの先生と知り合い、私自身がダンスを習っている先生やワークショップにニチジョの方がたくさんいるということもあり、今日は来ました。

大学入学時は映画の仕事を目指していた

まず、「なぜ俳優になったのか」という話ですが、私が俳優になったのは30年くらい前です。バブルに向かう頃でわりと自由にできたので、今とはあまりにも時代が違うんですよね。私はもともと俳優になりたかったわけではなく、子どもの頃から映画が好きで、映画に関係する仕事に就きたいと思っていました。ただ、大学の芸術学部や専門学校にピンポイントで入ると狭い感じがしたので、普通の大学に入って、クラブ活動で演劇や映画をやって、うまく映画会社や映画館関係に勤められたらいいなくらいの気持ちでした。

そう思っている間に、劇団活動に関わってしまったんです。就職を考えなければならない時期に、劇団の舞台を見た電通の人が私を面白いと思ったみたいで、「ミスタードーナツのCMキャラクターになりませんか」と言われました。それで出たのが"運の尽き"と言いますか、そのCMがシリーズになり、「CMの人」ということでテレビドラマや映画に出ることになりました。そのため俳優になったのは思いがけないことでした。

私の目論見としては、映画会社に就職して、洋画の邦題を考えたり、宣伝をしたりする人になりたいと思っていたんですね。でも俳優になったので、今、たまたまこういう立場にいるということです。大学時代に好きなことをいろいろやって、そのまま働きたくないという気持ちもあったので、猶予期間として「コマーシャルの仕事があるうちは演劇でもやるか」という感じでした。深く考えてはいなかったのですが、劇団に入って演劇を始めると、10年くらいは続けないといけない気分になって、ちょうどそのくらい続けました。今と違って、アンダーグラウンド(アングラ)の流れを持つ劇団にいたので、制作からやりました。

制作ってわかりますか?私は広報担当だったので、新聞社や出版社を回って「私の劇団を取り上げてください」とか「こういう演劇をしますから記事を書いてください」という営業をしていました。CMに出ていて、「面白い人がいるから取材しようか」と言ってもらえる立場にいたからです。

他にも制作の仕事はあります。作家はいたのですが、ガリガリ書く方ではなかったので、ネタを探して伝えました。上演場所探しもしました。劇場以外の場所で上演したい劇団だったので、面白い場所があれば交渉していましたね。「住宅展示場を一つの街に見立てて芝居をしたい」となった時には、「日曜日のかき入れ時に、着ぐるみでの呼び込みをするから(上演場所を)貸してください」と、交渉をしたこともありました。衣装は劇団のみんなで縫いました。

そのため、稽古ではクタクタになっていて、演劇だけを純粋にできる時代ではありませんでしたが、場所を借りるお金を企業が出してくれたり、使っていない倉庫を使わせてもらえたりしたので、好き勝手ができました。そんな感じだったので、演劇をしていたと言っても、演技を一生懸命やったというより、演劇活動をしていた感じです。

子どもの頃見た「白鳥の湖」に衝撃を受けた

私、体育がすごく苦手だったんですよ、体育の成績は「2」とかでした。バスケ部だったんですけど、結構大変でした。団体行動や団体競技が苦手なのか、人と一緒のことを合わせてやるのが難しくて、バスケの練習も下手だったので、外でパスだけやらされていました。先生にもダメだと見られていたんでしょうね。そうすると人間、「私、運動神経ないんだ」って思い込むんですよ。

これは教え方なのかなと思うんです。ダメと言われると本当にダメだけど、50歳頃にダンスに目覚めてから運動したり、体のことを勉強したりしていたら、目覚ましい進歩なんですよ。(前屈して)手をつくとか、中高生の時はできなかったけれど、今はできます。ダンスの舞台も、遊びみたいな形ですが出させてもらっています。偉そうなことは言えませんが、運動音痴と言われた日々は何だったのだろうと思っているんです。

小さいときからダンスは好きだったんですよね。幼稚園の頃だったと思うのですが、バレエの「白鳥の湖」を上野の東京文化会館で見たんです。あまりに感動してダンスに取り憑かれ、帰ってから、白鳥の湖の思い出を壁にサインペンみたいなもので描きなぐって怒られました。親に買ってもらった「白鳥の湖」のLPをかけて踊りまくって、親もびっくりしていましたね。それで、「バレエを習いたい」と言ったら、幼稚園のバレエ教室に連れて行かれたんです。「私はバレリーナ」と思ってワクワクしながら行ったのですが、クラシックバレエをしている人の、髪の毛をぎゅっとひっつめてツンとした雰囲気に気後れしてしまいました。とてもこの世界には入れないと思って「もう帰る!」って泣きながら帰ったんです。泣きながら「私にはできない」と言ったことが、好きなことに手が届かなかったという人生最初の挫折としてトラウマのようなものになりましたね。

大学を卒業するくらいの頃に、「世界バレエフェスティバル」のチケットをもらって見に行ったことがありました。ジョルジュ・ドンとか知っていますか? そういう世界のそうそうたるダンサーが来日していたのを見て、「やっぱりバレエが好きだ」と思ったんです。それからは、バレエというバレエを見に行きました。でも、ピナ・バウシュが初来日する頃になったら、演劇の人たちもダンスを見始めたんですよ。そうするとへそ曲がりだから、「みんなが見るなら私は見ない」となってダンスから遠ざかったんです。コンテンポラリーダンスも面白いものはたくさんあったのでしょうが、クラシックを見慣れていたので、言葉が正しいのかわかりませんが、「ちょっと技術以外の部分にかけすぎ」みたいな気持ちもありました(笑)。

それであまりダンスを見ない時期もあったのですが、50歳を前にして「そろそろお前の人生も固まったぞ」みたいな頃に、「カンパニーデラシネラ」主宰の小野寺修二さんという、マイムをベースにしたコンテンポラリーダンスをやっている演出家の舞台に誘われました。カミュの『異邦人』という作品をやるから、語り部みたいなことをやってほしいということでした。ダンスだけでお金をもらうのは本当に厳しいじゃないですか。演劇の層も取り込みたいし、ダンスとしても頑張りたいから力を貸してほしいということで、まさか踊りはないだろうと思って行ったんです。

そうしたら、ワークショップから作っていく演出家だったので、一緒にやっていただけますかということになり、ニチジョ出身のダンサーである、手代木(花野)さんや菅(彩夏)さんたちにもたくさん教えてもらいました。それが2010年で、7年くらい前。そこで初めて、舞台の上でムーブメントをしたんです。「なんて楽しいんだろう!」と思いました。今まで舞台に出ていて「楽しい」とか「この仕事いいな」と思うことなんてはほとんどなかったのですが、小野寺さんの舞台に出た時に、初めて舞台袖で「早く出たい!」と思ったんです。自分でもびっくりしました。

今はダンスみたいなことに関わることができていて、遠回りではあるけれど夢を実現できたので、ここ2〜3年はなんて幸せなんだろうと思っています。

「好きなものが多いことが自分の才能」

自分で自分のことを分析すると、わりと「若い頃よく考えた」という気はします。「これがダメならこうしたらいい」とか、「これは得意じゃないからやめてこっちに行こう」とか、そういうことを子どもの頃からじっくり考えていました。バレリーナって顔が小さくないと難しいでしょう。そうじゃないですか?だから万が一目指していたら、大変な悲劇が起きていたと思うけど、それは無理だというふうに考えたのだと思います。昔は面白い顔の人が今ほどたくさんテレビに出ていなかったから、この顔はちょっと利用できるかもしれないと考えました。俳優になるなら見た目で普通にするよりは、覚えられやすい存在でいようと思っていたし、今でもそれは考えているかもしれないですね。

学校の頃、何をやっても馴染めないとか、「ちょっと外れていなさい」と言われて落ちこぼれてしまう自分がいたけれど、逆手に取る方法がないか、なにかにつなげられないかということは多分考えていたのでしょう。それで「この道があるな」という進み方をしているんだと思います。

みなさんにこれが当てはまるかは分かりませんが、何かあるのではないかと思います。人と違う良い部分を伸ばすこともあるけれど、ダメなものを特技として使えないかをじっくり考えてみる。良くても悪くても、とにかく人と違うことを生かしていく。逆に、良い部分ばかりに注目していると、それがコケた時に大変なことになるじゃないですか。例えば、ダンサーになりたいと思ってバレエ団やカンパニーに入っても、怪我をしてうまくいかないということもあります。30歳までに成功しないといけないと思うのか、20代後半くらいに混乱を起こす人を見ることも多くありましたね。そうではなくて、消去法みたいに、自分が居やすい場所を探す。私の場合、それは映画館や舞台の上でしたが、どこが一番居やすいかは、未だに考えています。

私は、好きなものが多いことが自分の才能だと思っています。最初にダンスに対して「わーっ!」と思った気持ちとか、映画もバレエも本も散歩も食べ物も好きで、言い出したらキリがないくらいです。俳優としての才能があったというより、好きだということに才能があったと思うんですよね。映画や舞台や、面白いことに熱を持って挑める、熱が尽きないところが唯一の才能ではないかという気がします。何かが好きなら、好きでいる限りはいろいろな道がみつかったり、何とか関わることができるのではないかと思うんです。

テレビと舞台と映画の違いとは?

みなさんは、子供の頃から体育が得意って言われていた感じでしょうか。体育の先生になる人いますか?(学生頷く)どういうふうに教えてもらったんだろう......(笑)。国語はすごく好きな先生がいたんです。「今日は教科書を伏せてください。昨日私が見た歌舞伎の話をします」と言って、歌舞伎の話を見るよりも面白いくらいに話すのが上手な先生がいて、国語の授業楽しいな、歌舞伎見てみたいなと思いました。

【先生】国語の先生になりたいというのはなかったんですか?

先生になりたいと思ったことはないのですが、周りにはいました。私、文学部に入れば文学を語れるのだと思っていたんです。太宰治が好きで、武蔵野に憧れがあったので、場所で大学を選んだんですよ。吉祥寺と三鷹の中間くらいにあって、素敵なケヤキ並木があって、井の頭公園も近くて、「こういうところで文学を語りたいわ」と思っていたら、日本文学部って国語の先生になりたいという人が多かったんです。それで、すぐに劇団に入ったり、映画館でもぎりをするようになりました。学校にいた時間より、銀座の映画館か劇団の活動をしていた時間の方が圧倒的に多かったですね(笑)。

でも、みんなが言うことですが、絶対卒業したら「ああ、勉強って楽しかったな」と思いますよ。私と同世代の人たちも、「もう一回学校行きたい」と言っていたり、大学に入ったりする女優さんもいるくらいです。渦中にある人達はなかなか思わないでしょうけど、強制されなくなるとそう思いますよきっと。

【学生A】テレビと舞台と映画の仕事の違いを教えてください。

これは、体育大学の人たちには説明しやすいですね(笑)。テレビと舞台と映画は、競技のルールが違うという感じです。専門的なことは知らないけど、硬式テニスと軟式テニスはルールが違うんですよね?テレビ・映画と舞台は、そういう、「似たように見えるけど違う競技」なんです。確実にルールが違う。私は観戦する方としては、圧倒的に映画の方が好きですが、自分がやるのは舞台が好きです。それは私の身体の使い方や演技の質が舞台に合っているからだと思うんです。

大学に入学した時、映画研究会に行ったんです。8ミリで映画を撮っていたので「ちょっと出られますかね?」と冗談で言ったら、「あなたみたいな顔の大きい人は、演劇に行った方がいいんじゃないの。舞台なら遠目が効くから」と言われて、歓迎されないなら仕方ないと思って、演劇部に行きました。そうしたら、女の人が3人出る芝居をするのに、1人しか新歓で来ていなかったみたいで、「何でも良いから入れ」と言われて入ったんです。「遠目だったら舞台が良い」と言った人に、今なら感謝したいですよね。舞台に特に興味はなかったけれど、やってみたらダントツで自分の体質に合っていました。

私の中では、舞台の本番や、今日みたいにお客さんを前にしてやる仕事はスポーツの試合だと思っているので、楽しいんです。試合って楽しいでしょ?ただ、試合でも緊張するわけですよ。10人でも、400人でも、700人でも、ものすごく緊張する。テレビで、カメラの奥に「約2000万人がいます」と言われても、想像できないのでどう緊張していいかわからない(笑)。私にとっては生の力はすごく大きくて、インターネットの向こうやレンズの向こうはあまり想像できない感じがあります。緊張はしますし、良い作品で良い役をもらったら、なんとかしなきゃとは思うけれど、なかなか難しい。

だからテレビと映画は私にとっては試合ではなくて、仕事という感じです。だけど舞台は目の前にお客さんがいて、決闘みたいなイメージ(笑)。お客さんと剣で向き合って、「向こうから切ってくるから、こちらは引いて」みたいな、そのやりとりを楽しむ感じです。みんなでやるダンスが楽しいのは、試合感が強くて、もっと体育会系になれるからかな(笑)。

今は、映画もテレビもドラマもできて当たり前になっているけど、舞台に出ない人は出なければ良いと思うし、私もテレビに出たくなかったら出なければいいと思ったりはします。外国の演出家の人に、日本では専業で舞台、ドラマ、映画をやるようにはなっていないから、何でもできるようで、実は何もできない人がいる、と指摘されたというのは聞いたことがあります。日本に演劇学校がないわけではないけれど、総合的に教えてくれるところはそんなにないし、現場で覚えていくことが多いから全部ちゃんと学んでいる俳優さんはいないんですよね。

ダンスの人たちと一緒に仕事をしていて、ダンスの人たちがセリフを喋り、私が踊るということになった場合に、ダンスは教えやすいと実感します。「こっちに重心を乗せたら上手く動けますよ」とか、「手がちょっと曲がっています」とか、言われたとおりにやれば、ある程度きれいにできるようになるわけです。だけど演技はそんなふうにうまく人に教えることができないんですよ。ダンスの先生たちはすごく教えるのが上手です。この前も、テレビドラマの絵本を読むシーンでカタツムリの役をした時に、ニチジョの卒業生の先生にカタツムリの歩き方を教わりに行きました(笑)。「ぬめり感を出したほうが良いよね」「首を伸び縮みさせる動きが入ったほうがいいね」なんて一緒に考えて、教えてもらうとそれなりにできるわけです。でも、演技の場合は教えられないというか、一緒に考えることもできないかもしれない。ダンスの人がうらましいと思います(笑)。舞台を目指しているんですか?

【学生A】明治座に所属していて、殺陣をやっているので、殺陣の道に進めたらいいなと思っています。

かっこいい! それこそ海外の作品とかあるんじゃないですか。きっと、これからどんどんやれる方向性がありますよ。女の人ばかりが戦う作品ができたらおもしろいですね。そろそろ、そういう作品が出てくるのではないかと思いますし、みなさんに作っていってもらいたいですよ。私は「ハリウッドすごい!」みたいなことは全然思ってないタイプなんですがでもさっき、今年見たアメリカ映画のベストは何かという話をしていて、私は『メッセージ』という映画が好きだと言いました。見ましたか?

エイミー・アダムスという女の人が主人公で格好よくて、美人女優みたいに言われているけど、そんなニコール・キッドマンみたいなタイプではなくて。普通の主婦もできる女優さんがSF映画の主役になるのはすごいなと思って。少し前にあった『ゼロ・グラビティ』という映画も、私と同年代のサンドラ・ブロックが主役でSFをやっています。『女神の見えざる手』という映画も、40代くらいの女性のロビイストが大活躍する映画です。

そういう人が活躍する映画って日本にありますか?『かもめ食堂』という映画のときに、私は「中高年女性が大活躍する映画です」と一生懸命言ったのですが、あまり気づかれませんでしたね(笑)。映画を見る人は女性が多いはずなのに、なぜそういうジャンルができないのか、不思議でならないんです。でも、今後絶対出てくるんじゃないですか。だから皆さんにがんばって作ってほしい!

「続けようと思わないでいたのが良かった」

【学生B】髪型を変えているのを見たことがないのですが、いつから続けていて、どんなこだわりがあるんですか?

子どもの頃からこれですね(笑)。変えているんですけど、基本的に前髪が短いと、変えていると思われていないこともあります。CMでも私が出るとなると、絵コンテにおかっぱのおにぎりみたいな絵が描いてあることがよくあります(笑)。勝手におかっぱだと思い込まれていて、そういうイメージが強いというのはあるし、オーソドックスなところに戻っていく感じはあります。私、よく自分のエゴサーチをするんですけど、一番に出てくるのが「前髪切りすぎた。片桐はいりみたいになった」という内容です(会場笑い)。私には何の関係もないことなんですけどね。役ではいろいろな髪型にしているんですけどね。これでも、一つ覚えてもらえる何かがあればいいとも思っています。海外で、全然私の顔が割れていないところに行っても、「去年も来たね!」って言われるんですよ。「去年Tシャツ買ったよね、ここで」とか(笑)。

今、ここまで前髪を短くしているのは、チャイロイプリン(CHAiroiPLIN)というダンスカンパニーの作品に出ていて、宅配便業者の役で帽子をかぶっていたからですよ。そういう理由で髪の毛を毎回考えているんですが、ここまで短くすると目立つみたいで、よく声をかけられます(笑)。

【学生C】俳優のお仕事をされていますけど、もともとは映画のお仕事に携わりたかったということで、やめて別の仕事に就きたいと思うことはありますか?

初めの10年間は「いつやめようか」という感じで、続ける意志はありませんでした。逆に言えばそれが良かったと思っています。20代に勢いで「とりあえずやっとけ」と思ってやることと、「続けなきゃいけない」と思ってやることは違う気がするんです。いつ辞めてもいいと思っているから、こわい監督さんにも「これの何が面白いのかわかりません!」とか平気で言っていたんですよ。生意気だったけど、そういう時期もあって良かったと思います。今も、やり続けようということを胸に置いてはいなくて、馬の前のにんじん状態です。人参があるからやっているけど、なかったら全然走らないでいい感じ。常に人前に出ていたいためだけにやることはないのかなという気はします。ただ、舞台に出ていないと、ああ、久々に試合に出たいなという気持ちは出てくるんですよ(笑)。

劇団をやっていたときは、あらゆることをやらなきゃいけなくて、しんどいし報われないみたいな気持ちも手伝って、つらくて辞めたいと思ったことはいっぱいありました。時と場合にもよるかもしれないけど、「これをやらなければいけない」「続けなければいけない」と思った時に、しんどくなるのではないかと思います。もちろん仕事をやったらなるべく続けた方がいいけど、合わないと思ったら、とっとと諦めることも基本的には重要だと私は思う。その人の置かれた状況と、何回目の諦めかとか、そういうことによるのかもしれませんが。私の場合は続けようと思わないでやってたのが良かったなと思いました。何をやろうとしているんですか?

【学生C】市役所か公務員です。もともとは保健体育の教員になりたかったのですが、子どもだけではなくて、世の中の人のために働きたいなというのもあって、市役所だと地域密着で人を助けられると考えています。

ちゃんと人のことを考えているのがすごいですね。市役所や公務員が人気って私たちの頃は信じられないけど、そういうふうに考えている人がいると安心します。

【学生D】舞台とかの稽古をしているときには、「楽しい」という思いが一番ですか?それとも、面白いものや良いものを人のために作らなきゃと考えているのか、どんな思いですか?

「面白いことをしたい」だけですね。人のためや自分のためというのは、あまりないです。例えば、大好きな人のお誕生日に、ものすごくびっくりするプレゼントをあげたいとして、何をどうしたら一番面白いだろうって考えますよね。そういう感じです。泣いたり笑ったりすることも含めて、お客さんの心をかき乱したり、びっくりさせたい。私はその欲望がすごく深い人間なのだと思う。たとえば「はいりさん、今度○○をやりたいんだけど」と言われたら、「こういうことをしたら面白くない?」というアイデアはどんどん出てきます。それをやっているときは、あまり「疲れた」とか「もうやだ」とか思わないですね。だから基本的には楽しい作業です。
皆さんもそうでしょ?好きな人へのサプライズを考えるのに、めんどくさいな、とか、疲れた、とか思わないでしょ?(笑)

【職員】7年前に広報誌のインタビューを受けられた時の紙面に、「これからも少し危なっかしい、つかみどころのない俳優でいたい」とあったのですが、今もそれは同じですか?

お客様というかプレゼントをしたい相手に対して、「この人が出てきたらこうなる」という定番をサービスとしてするタレントさんや俳優さんもたくさんいますよね。それはそれで確実ないいプレゼントだと思うけれど、私はもうちょっと「何をするかわからない」存在でいたい。「この人は次に何をやるだろう?」と思ってもらったら嬉しいです。

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