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2012年4月16日
今から90年前の1922(大正11)年4月15日、代々木山谷(現在の小田急線参宮橋駅付近)に二階堂体操塾が誕生しました。生みの親は二階堂トクヨです。そのとき彼女は41歳でした。以来亡くなる60歳まで、この学校の経営、管理、運営、教育に全身全霊をささげたのです。
「外になし ただ羽根布団 わが一生」
この句は「この句そのものがトクヨの生涯の自画像になっている。」(穴水恒雄『人として女としてー二階堂トクヨの生き方ー』、不昧堂出版、2001)と、二階堂トクヨ研究の第一人者・穴水恒雄日本女子体育大学名誉教授が語っているように、女子体育のために「走りづめの生涯」(同上書)をトクヨは送ったのです。この句を、女子体育のために走り続けた生涯に悔いは無いが、羽根布団(やすらぎ)だけは欲しかった、と名誉教授の解釈を参考にして私も理解しています。
トクヨは結婚への強い願望を終生持ちつづけていましたが、婚約しながら自ら破棄したこと、かなり高齢になってからも結婚の機会を得たのに仕事を優先させ、後で苦しんだこと等があった、と弟の二階堂清寿と二階堂真寿は書いています(二階堂清寿、戸倉ハル、二階堂真寿『女子体育の母・二階堂トクヨ伝』、不昧堂出版、1957)。続いて「バリバリ云っても根はやさしい心の持主だった。女西郷と綽名もされたが、矢っ張り纏綿(てんめん)たる女性だったのだ。」と、姉を回想しています。 前半の半生(30年)を明治時代に後の半生を大正と昭和前期(昭和16年逝去)に生きた女性にとって、 個人的な願望と社会的使命感とを両立させることは困難だったのです。
東京女子高等師範学校(以下、女高師)の文科で学び、とくに和歌に親しみ(歌の師は、尾上柴舟(さいしゅう)。師からトクヨは小柴舟の名を戴く)、その世界で将来を嘱望されていた、他方で体操を嫌い軽蔑さえしていたトクヨでした。では、なぜ彼女が日本を代表する女子体育の指導者になったのでしょうか。この点こそ学園創立90周年のこの機に確認すべき事柄だと思います。女高師文科を1904(明治37)年に卒業して赴任した、石川県立高等女学校での主たる担当教科は、なんと嫌いで軽蔑していた体操でした。嫌がりつつも開き直って始めた体操の授業や、授業準備のための自分の体操の練習で、長らく苦しめられていた神経衰弱が数ヶ月で完治したという劇的な体験をし、この体験を経て彼女は体操へのそれまでの自らの態度を懺悔し、生涯を体操に捧げることを誓ったのです。
生涯を体操に捧げることを決心すると、トクヨは体操の理論と実践力を身につけるために、文部省の講習会や近隣のキリスト教会の宣教師(カナダ人で体操専門学校出身)に助けられながら懸命に努力しました。また授業や運動会の実践に情熱を傾けました。この授業や運動会が評判を呼び、4年後には体操教師として高知師範学校へ、そして7年後には母校東京女子高等師範学校へ体操担当の井口あくり教授の後任として助教授で迎えられたのです。さらに女高師赴任後一年して、文部省から女子体育の振興のためにイギリスに派遣されます。
イギリスでは数校の体操専門学校で当時の世界最高峰の体操(スエーデン体操、ドイツ体操を中心に)を学び、また、ヴィクトリア朝時代直後のイギリス社会及びイギリス女性の生き方を学びます。この経験を通じて、体育が知育、徳育の基礎であって、身体が健やかでしっかりしてこそ真の知育と徳育が可能になるという教育観に確信を持ちました。また、女性は自立し、社会に出て社会の維持発展に貢献すべきであるとの女性観を身につけたのです。
いわば体育を基礎とした全人教育によって、豊かな教養と体育的専門性を備えた自立した女性を社会に送り出す、という仕事を使命(天命)と受け止め、当時の女性のもっとも名誉あるともいえる女高師の教授職を辞めて、冒頭に記したように、私財を投じて代々木山谷に二階堂体操塾を創立させたのです。以来亡くなる60歳までの約20年間、この体操塾の存続・発展のために心血を注ぎ、「外になし ただ羽根布団 わが一生」と自ら表現した生涯を送ったのです。この体操塾は1926(大正15)年、日本女子体育専門学校に昇格し、日本で初の体育系専門学校になります。第二次世界大戦後は、1950(昭和25)年に日本女子体育短期大学に昇格し、さらに1965(昭和40)年には日本女子体育大学へと発展していきます。また、1993(平成5)年に、大学院スポーツ科学研究科(修士課程)を開設しています。
トクヨ自身のこの生き方そのものが、彼女が自らの教育によって実現しようとした、女性のあるべき一生のモデルだったと言えましょう。しかし、彼女の最終の目標は、自分の時代に実現できなかった、女性が自立し、その社会的使命感と「羽根布団」を両立させることのできる時代を、女性が手にすることにこそ置かれていたと言うべきでしょう。
創立以来90年にわたり本学は、3万6千人あまりの卒業生を送り出しました。オリンピック選手は人見絹枝をはじめ20名を越え、ほぼ同数の博士号取得者(卒業後に他大学で取得した者)を出しています。卒業生は、保育士、幼稚園教員、小学校教員、中学・高校の保健体育科教員、大学教員、教育委員会・警察・消防等の公務員、スポーツ指導者、舞踊家、舞踊指導者、銀行員、スポーツ産業に関わる企業の社員、その他一般企業社員等、幅広く各界で活躍し本学の社会的使命を果たし続けています。
大学経営をめぐる環境は、18歳人口の激減、体育・スポーツ学系大学・学部の急増、その他、ますます厳しくなってきています。しかし、スポーツによる幸福の享受をすべての人々の権利としたスポーツ基本法の成立、健康や生き甲斐と関わる運動・スポーツへの関心の増大、高度競技スポーツや生涯スポーツでの女性の活発化、子どもの心身の成長からみた運動・スポーツへの期待、不安やリスクが高まる現代社会にあって女性的感性や女性的理性への次第に高まる期待等、本学にとって追い風になり得る最近の社会状況も明らかに存在します。本学は二階堂トクヨの建学の精神及び社会的使命感に学びつつ、時代精神を的確に読み取り、トクヨのように強い心で改革を怠りなく進め、彼女の起こしたこの事業を維持し発展させることを、創立90周年に因(ちな)んでお約束いたします。
受験生の皆さん、保護者の皆様、先生方、スポーツや運動の分野で頑張っていらっしゃる皆様、また、女性の教育に関心をお持ちの皆様、そしてこの一文をお読みくださったすべての皆様、是非本学へ関心をお寄せください。また、機会がありましたらご来校ください。心よりお待ちしております。
| 2011年8月5日 |
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